気学で多く採用されている十二支をベースにした30°60°の方位区分は、気学の創始者である園田真次郎*1が決めたとされている。なんでも、園田の高弟であった初代山本光養*2が、大阪から東京に出てきたときに、日本橋馬喰町の辻でトタン板で鼻に大怪我をした事が切っ掛けになっているらしい。この時、山本光養は四緑の盤を使ったらしく、東の震宮には二黒が回座することになる。山本光養は本命が七赤だったそうで、土生金と星が本命を生じている上に、木尅土と宮が星を尅しているので、二黒の象を気にしなければ使える方位ではある。
三 | 八 | 一 |
二 | 四 | 六 |
七 | 九 | 五 |
ところが山本光養が、七赤の象であるトタン板で怪我したことから*3、園田真次郎*4は艮宮の七赤の象が出たのではないかと考えたようで、その結果、震宮の範囲は30°くらいしかないと結論したらしい。そこで十二支をベースに30°60°の方位区分としたと伝わっている。
2011年09月12日追記
以下の段落の内容は正しくありません。申し訳ありませんでした。