九宮八卦の象

後天八卦というものの

周易において最初に出現したのは六十四大成であって八卦ではなかったことが出土資料によって明らかにされてきた、というのはこのブログでも時々ネタにしている。十翼の『説卦伝』は前漢の頃には、まだフィックスされてなかったという話もしたことがある。ただ小成八卦の発明と、それへの象の付与が大発明だったのは間違いないところだろう。何せ後天八卦方位がないと方位を使う術は存在もしなかっただろう*1。説卦伝で八卦と方位の対応関係を記述しているのが以下だ*2。例によって句読点については引用した筆者が適宜変更を加えている。

(原文)
帝出乎震、齊乎巽、相見乎離、致役乎坤、
説言乎兌、戰乎乾、勞乎坎、成言乎艮。
萬物出乎震。震、東方也。
齊乎巽。巽東南也。齊也者言萬物之潔齊也。
離也者明也。萬物皆相見。南方之卦也。聖人南面而聽天下嚮、明治。葢取諸此也。
坤也者地也。萬物皆致養焉。故曰致役乎坤。
兌、正秋也。萬物之所説也。故曰説言乎兌。
戰乎乾乾、西北之卦也。言陰陽相薄也。
坎者水也。正北方之卦也。勞卦也。萬物之所歸也、故曰勞乎坎。
艮、東北之卦也。萬物之所成終而所成始也。故曰成言乎艮。

(読み下し)
帝出ハ震、齊ハ巽、相見ハ離、致役ハ坤、
説言ハ兌、戰ハ乾、勞ハ坎、成言ハ艮ナリ。
萬物ハ震ニ出ズ。震ハ東方ナリ。
齊ハ巽。巽ハ東南也。齊ナルハ萬物之潔齊ヲ言ウナリ。
離ナルハ明ナリ。萬物皆相見ス。南方ノ卦ナリ。聖人ハ南面ス而シテ天下ノ嚮ヲ聽キ、明ニ治ムルナリ。葢シ諸ヲ取ル此ナリ。
坤ナルハ地ナリ、萬物皆養焉ニ致ス。故ニ曰ク、致役ハ坤ナリ。
兌、正秋ナリ、萬物ノ説(よろこ)ブ所ナリ。故ニ曰ク、説言ハ兌ナリ。
戰ハ乾乾、西北ノ卦ナリ。陰陽ノ相薄キヲ言ウナリ。
坎ハ水ナリ。正北方ノ卦ナリ。勞ノ卦ナリ。萬物之歸スル所ナリ、故ニ曰ク、勞ハ坎ナリ。
艮、東北ノ卦ナリ。萬物ノ成終ノ所、而シテ成始ノ所ナリ。故ニ曰ク成言ハ艮ナリ。

読み返してみると幾つか発見がある。坎卦の説明とかは「坎である真北は全てが帰する所なので労(いたわ)りなさい」と言っているわけで、奇門遁甲の休門はここから出たのではないだろうかとか、元号の『明治』って離卦から出たんだ、とかだ。

閑話休題
震-東、巽-東南、離-南、乾-西北、坎-北、艮-東北、は説卦伝内で明言されている。もっとも兌は正秋なので西というのはそんなに問題ないだろう。問題は坤だ。他の卦では方位が入るだろう箇所に『地』とある。まぁ他の七卦は方位と対応済みなので、残った西南を坤に対応付けるとともに『地』なので中宮ということになると思う。これが奇門遁甲中宮と坤宮を同一視する寄宮法*3の淵源なのだろう。

だけれども、坤卦の象は西南以外にも多々あるわけで、奇門遁甲で坤宮の象を取ろうと考えた時、説卦伝内では陽に説明されていない西南を使う*4しかないことはないよね。坤卦には母の意味があるから、お母さんと話をしてみるとかあるし、坤卦を衣服と考えれば着替えてみるのでも坤宮の象は取れるのではないかな。

*1:後天八卦方位といいつつ、説卦伝をベースにした八卦と方位の対応関係は先天八卦よりも古いだろうと、私は考えている。

*2:原文は例によって『雨粟莊』さんの所にある『説卦傳』から御借りした。

*3:多分最古の、だ。時代が下ると別の寄宮法も出てくる。

*4:この表現のビミョーさを解ってくれる人ってどれくらいいるのだろう?