180年のサイクル

三元九運の180年のサイクルの中で、今年は下元八運が始まって6年目にあたる。来年の2010年から180年前の日本というと、ちょうど天保が始まった年になる。天保八年(1837年)に大御所徳川家斉の死去によって、水野忠邦が中心となって「天保の改革」が始まる。天保の改革の中で、綱紀粛正や洋学弾圧を押進めたのが、妖怪とあだ名された鳥居耀蔵だ。児童ポルノ関連で、平成の鳥居耀蔵が出現するとしたらどんな人物になるのだろうということで、鳥居耀蔵について調べてみた。

Wikipedia - 鳥居耀蔵によると、失脚して丸亀藩に長の預けの身となって以降の鳥居耀蔵は、案外と人から慕われる教養人であったらしい。以下の記述がある。

嘉永5年(1852年)の日記には1年中話をしなかったという記述がある。そんな無聊を慰めるため、また健康維持のため、若年からの漢方の心得を活かし幽閉屋敷で薬草の栽培を行った。また、自らの健康維持のみならず領民への治療を行い慕われた。林家の出身であったため学識が豊富で、丸亀藩士も教えを請いに訪問し、彼らから崇敬を受けていた。

晩年は知人や旧友の家を尋ねて昔話をする平穏な生活に明け暮れ、明治6年1873年)10月3日、多くの子や孫に看取られながら波瀾に満ちた生涯を全うした。享年78。

鳥居耀蔵は、江戸幕府儒者の家柄であった林家に生まれただけのことはあって、かなりの教養人であり、身近な人間にとっては人格者であったらしい。しかし鳥居耀蔵にとって、江戸幕府を頂点とする政治体制が有効に機能していた良き時代*1は何もにも代えがたい価値を持っていたようだ。その価値を現実のものとするため、綱紀粛正を行い、悪しき外国の影響を全力で排除する。そしてその目的のためにはダーティワークを厭わず、必要があれば上司を失脚させることもある。それが鳥居耀蔵という人物だったようだ。勝海舟鳥居耀蔵を以下のように評価している。

残忍軽薄甚しく、各官員の怨府となれりといへども、その豪邁果断信じて疑わず、身をなげうつてかへりみる事なく、後、罪せられて囹圄にある事ほとんど三十年、悔ゆる色なく、老いて益勇。八万子弟中多くかくのごとき人を見ず。亦一丈夫と謂うべき者か

ということで、平成の時代に鳥居耀蔵のような人物が出現するとしたら、以下のような人物ではないのだろうか。

  • 警察官僚
  • 家族・知人にとっては好い人
  • 目的のためには手段を選ばない
  • ネットが嫌い、特に2ch
  • 良き昭和に至高の価値を見出している

そして平成の鳥居耀蔵を見出し、そして裏切られる平成の水野忠邦はというと、正義をよく口にする友達の友達がアルカイダだった元法務大臣じゃないかという気がする。

しかし鳥居耀蔵って明治まで生きていたんだ。

*1:もちろん鳥居耀蔵にとっての、だが。