玄武とか

風水の四神

というと平城京遷都の詔勅に影響されてか、東西南北のどの方向に何があるとかが固定されていると思う人が多いかもしれないが、本来の考え方は、

  • 山を背
  • 水を前
  • 左右に風を防ぐもの

である。山を背にして水を前ににすることを「背山臨水」とよぶこともある。

はてなの近藤さんの日記(id:jkondo:20050713:1121222635)に以下があったが、これがまさしく玄武を北に配置した感覚の原型だろう。

富士山の裾野に住んでいる人に地図を描いてもらうと、必ずといって良いほど上に富士山を描いてくれます。富士山の南側の沼津や富士の人が北側にある富士山を地図の上に書くのは良いとして、富士山の東どなりにある御殿場市や、富士山の北側にある富士吉田の人に地図を描いてもらっても、富士山を上に描く人が多いのです。

これは手書きの地図のみならず、町の看板や案内地図などもそうなっていることがほとんどです。

つまり、日頃から富士山の存在感が圧倒的に強いために、地図上での標準的な上である「北」という概念よりも、「富士山が上」という概念が支配的であるということの証拠なのだと思います。

背が字の中に北を含むように、背と対応する方位は北になる。なので大江戸魔方陣*1で、加門七海さんが江戸の四神を探して右往左往しているところは笑えた。江戸の玄武は北にはなくて西にある高尾山がそれで、東京湾が朱雀だ。ついでにいうと京都から東京にやってきた皇族は高尾に多摩御陵を造営して江戸の龍を乗っ取ってしまったわけだ。

そういえば

2004-10-08の日記のコメントで、菅原光雲御宗家は、

キミみたいなのが関っているニフティの占い師登録も抹消したいから別途連絡する予定。

と宣言したわけだが、未だに
http://www.ffortune.net/cgi-bin/sacra/indc.cgi?w=15
を見ると御宗家のデータは占い師databaseに残っている。これについては以前、Lumiereさんに確認したことがあって、消せという連絡は一度も無かったとのことだった。ということで、Lumiereさんに引き止められたというその場しのぎは通用しないということでよろしく。

やっぱり営業上、占い師databaseにデータがあった方がいいと判断したんでしょうかね?*2もしそういうことなら、営業の都合を自分の言動の一貫性よりも上位に置いている点で「嘘つき商売人」の称号は、菅原光雲御宗家によりふさわしいだろう。

謎の赤目くん

儀式する?*3
宣言あげようか?

*1:これって「魔法陣」の方が中身と合っていると思う。

*2:でないとすると、自分が書いたこと言ったことに責任を持たないということなんでしょうか。

*3:何の儀式だ?