新元号を射覆してみる

もう2年前か

2年前の『うらない君とうれない君』で大石真行さんが新元号の予想をやっていた。


【うらない君とうれない君】時事のコーナー 2019年からの『新元号』を占う!

で触発されて自分もやってみようと思って六壬の課式を立ててみた。これだ。

新元号を予想しての課式

ところが悲しいかな、この課式を見ても新元号は何も浮かんでこなかった。

で、最近twitterで少し新元号の話が流れてきたので課式を引っ張りだして考えてみたのだけど、やはり何も浮かんでこない。で、mixiの日記でグチってみたところ玄珠さんから、以下のようなサジェスチョンをもらった。

それは一種の射覆ですから、課/卦だけ視つめていても難しいでしょうね。
可能性の中から絞り込まないと。

で、元号一覧 (日本)-Wikipediaから全ての元号をコピーしてきて1文字に分解して出現頻度を計算したり、最初の1文字と最後の1文字についてもそれぞれ出現頻度を計算してみることをやってみた。

課式が玄胎格で『人心一新の象』である以上、出現頻度の高い文字は除外することになる。全体で見て出現頻度が1回しかない文字としては、

乾、感、吉、亨、興、景、衡、国、至、字、朱、授、勝、昌、昭、祥、成、斉、泰、鳥、禎、同、銅、白、武、福、霊、老、祚、雉

がある。この中でローマ字表記*1にした場合に、M、T、S、Hとかぶらないものというと、

乾、感、吉、亨、興、景、衡、国、字、授、同、銅、武、霊、老

辺りが最初の一文字の候補という感じになる。もっとも玄胎格なので未使用の文字の可能性もある。今の時代の閉塞感を何とかしたいと考えるなら『興』に可能性を感じる。で、明治とか昭和の輝きよもう一度という感じになるなら『興明』、『興昭』辺りかな、と思っていた。

そこに首相安倍晋三が『安』を新元号に捻子込んで自分の名前を歴史に残そうとしているという話が出てきた。『安』は使用頻度が高いので無いだろうけど……と考えて、もっととんでもないことが頭に浮かんできた。首相夫人の安倍昭恵の名前には『昭』が入っているということだ。発用の天后はこれかも、と思った。なので『興昭』を押しておくことにする。

まぁ普通なら元号に自分の名前の1文字が入るなんて恐れ多いと感じるだろうけど、安倍昭恵はこの方面底抜けだからね。

ところで新元号の予想用に作った文字頻度のデータはExcelにまとめてあります。御興味のある方は以下にメール下さい。
hokuto@the-fortuneteller.com
メールにExcelブックを添付して送ります。

*1:国のやることなので、訓令式のローマ字表記。

夢渓筆談

東坡食譜

先日『運を乗りこなすには』のエントリで引き合いに出した『王様の仕立て屋』シリーズの著者である大河原遁さんには『東坡食譜』という著作がある。これは東坡肉の考案者として伝わってる北宋神宗の時代の政治家で詩人*1であった蘇東坡が流刑先でも食を通じて庶人を教化して行く様を描いたマンガだ。登場人物の一人に沈括が出てくる。前掲書では沈括をこう紹介している。

沈括は延州にあって度々西夏戦で武功を挙げましたが元豊五年 三十万の西夏軍に抗し切れず敗退その責を負い蟄居を命ぜられます

以降半隠居状態となり「天下州県図」や「夢渓筆談」の著作に没頭し中国科学史に大きな足跡を遺します

現代に伝わる「蘇沈良方」は蘇東坡先生の医学書に沈括が説を追加したもので東洋医学の重要な資料となっております

私はこのマンガを読むまで沈括が県知事として武功を含めてかなりの業績をあげたことは知らなかった。ただの文人だとばかり思っていた。しかし六壬者なら沈括という名前と『夢渓筆談』という書名は記憶に留めておいた方が善い。現在、標準的な『節月の切り替わりは二十四節気の正節、月将の切り替わりは中気から』というのは、夢渓筆談から始まっているからだ*2

中国天文学は地球の歳差運動については割と早くから知っていたものの、それを暦法に組み込むのは非常に遅かった。沈括の時代の前、唐の時代には節月も月将も正節で切り替わっていたことは、安倍晴明の『占事略决』にも反映されている。その後、多分、紆余曲折があっただろうけれども、『夢渓筆談』での『節月の切り替わりは二十四節気の正節、月将の切り替わりは中気から』に落ち着いたという所だ*3

もっとも『夢渓筆談』自体は雑多な随筆録で、沈括が延州知事時代にあったこんな面白い話も載っているそうだ*4

  1. 北宋に敵対していた西夏の軍が延州の小さな砦を攻めた。その軍は西夏の梁太后直属の精鋭だった。
  2. 沈括は自ら軍を率いて救援に出たが砦に閉じ込められて包囲されてしまった。その砦の食料は乏しい上に水に毒を入れられていて籠城戦も無理だった。
  3. そこに首都開封から軍に同伴してきた娼妓を束ねている遣手婆が「自分に任せてくれ」と申し出て来た。
  4. 実は梁太后は娼妓の出で、その遣手婆は梁太后の娼妓時代のことをよく知っていた。
  5. 西夏の幼帝の母である国母の娼妓時代の閨での秘技を、その遣手婆は城壁に立って包囲軍に向かって大声で語り始めた。
  6. 包囲軍は直属の主で国母である梁太后のプライベートな秘密を知ることがどんなに危険なことか理解していたので、聞かされるのは堪らないと包囲を解いて引き上げた。

ということで、遅まきながら『夢渓筆談』の文庫本3冊をAmazonで発注した。

この蘇東坡や沈括の時代のすぐ後に梁山泊の豪傑が官軍と戦う時代がやってきて、次いで『靖康の変』で北宋は滅び南宋としてなんとか生きのびる時代がやってくる。

ところで話変わるけど、安倍首相夫人の安倍昭恵が『国母として生きる』とか言ったんだって?日本で国母と言えるのは皇太后しかいないと思うけどねぇ。何時の間に安倍昭恵は皇太后を僣称するまでに偉くなったんだね。皇統の乗っ取りを企んだ足利義満でさえ望んだのは『三后』だぜ。これに対しての批判が右翼方面から全く乏しいように見えるのはどういうことだね。明治帝5世の孫が御自慢の竹田恒泰氏とか、これについて黙ってちゃいかんだろ。

ところで

『東坡食譜』には蘇東坡に妾腹の夭折した末っ子が生まれてきた時の話が出てくる。易経の『遯』の卦から無病息災を願って遯と名付けられた。遯の卦辞*5は短く、

遯、亨。小利貞。

とだけある。君子は遁走し小人は一歩下がって利のある卦だ。案外、著者の大河原遁さんも蘇東坡の故事からペンネームも遯としようとしたけれども、豚の入っている字では理解されにくいと感じて『遁』としたのではないだろうか?

*1:中国の政治家は大体詩人だったりする。三国志曹操は大詩人だった。

*2:玄珠さん情報。

*3:大石真行さんには異論があるそうだ。

*4:『東坡食譜』による。

*5:雨粟莊さんのところから拝借した。

なんとなく占った

明後日は大寒

確かFacebookで明後日が大寒というエントリか何かを見た。「明後日は大寒か~」から「大寒から立春までが寒さの底だっけ」、「あ~あ、例のごとく『立春なのにこの寒さ』という定型文を見るんだろうな」まで連想が働いたとろで「ひょっとして今年の立春は案外、寒くないかも」と思ったので、立春が寒いかどうかを六壬に問うてみた。

立春の日の天候占

天候を占う時は三伝の発用が鍵となる。

発用は小吉(未)で天后が乗じている。天后は雨の象だ。もっとも発用が日墓ながらも小吉なので案外暖かい可能性がある。ということで立春の日は少し暖かい雨が降ると予想しておく。

なお干上神が空亡していて乗じた勾陳から剋されているけれども、神后(子)は雨の象で父母ということは、私は外出して少し濡れるということなのだろう。また第三課は徴明(亥)だけれども六合が乗じているということは、第三課はマスコミを指している可能性がある。徴明は雨水から月将となるので雨ではあるもののそんなに寒いものではない。なのでマスコミのお天気の報道は雨は言ってもあまり寒さのことは言わないのではないだろうか。

しかしさぁ、六壬の課式と天地盤て、『はてなダイアリー』の頃は面倒臭いとはいえHTMLのtableを駆使して直接書けたわけよ。ところがその後継の『はてなブログ』じゃできないと来たもんだ。結局、pdfからpngに変換して図形として貼ることになった。なんとかなりませんかねぇ。

ハケン占い師アタル

今月の17日から『ハケン占い師アタル』という連続ドラマが始まった。占い師が主人公らしいので見ることにして録画しておいた。で、先程見た。派遣でやってきた女子が実はおっとビックリ、霊感系の凄腕占い師という話だった。霊感系かぁ……あまり益するところも無さそうだし、登場人物が逐一痛々しいので1話で見るのは終了となった。

一応、言っとくと私が登場人物を痛々しく感じて1話で終了ということをもって、このドラマが失敗作だなんて言っているわけではない。というか、私が痛々しく感じたのはドラマの狙いにそった演出があり、役者さん達はそれに沿った演技をしていて、それが功をそうしたということだろう。このドラマはアタルの派遣先のD部の面々がアタルによって自分の痛さの根っこと向き合い、それを克服して成長して行くし、アタル自身もその過程から何かを得て成長して行く、そういうドラマだろうからだ。

私も一時、派遣のSEというPC回りの雑用係をしていたことがある。定年退職者の再雇用のために私のワクが無くなって仕事が無くなってしまったけどね。占いやってることは特に秘密にはしてなかった。派遣先の若い衆に自作の紫微斗数の自動占いで遊んでもらったら「こんなに細かく占えて当たってて怖い」と言われたことがある。別の若い衆が結婚するのに占いをネタに反対されたと聞いた時は、今年結婚すると善い理由を占いからの観点からその場で3つ作って渡したこともある。

占いやってる人間として気分が悪いことの一つに「自分が反対なくせに自分の感情の替わりに占いを持ち出して来る御仁」というのがある。私の愛する占いをそんなことに使わないで欲しいね。自分が嫌なら「自分が嫌なんだ」とハッキリ言ってもらいたいもんだ。

運を乗りこなすことについて更に考えた

開運のために必要なもの

昨日のエントリをあげてから、更に考えてみた。その結果がこんなツィートだ。

結局のところ、開運した状態とは何かが定義できていないと、開運のために何をどうしたら良いのかが判らないままということだ。雨宮零さんのツイキャスとか、ヘイズ中村さんの居皆亭での話*1とかを聞いて考えてみると、開運のための根っこの部分で、

  1. 開運した状態の自分を規定する。
  2. その状態に至ることを目的に手を尽くすことを厭わなくなる。

ができている必要があるわけだ。こうして開運のたの性根が入ったところで、具体的なテクニックの出番になる。

開運のための手段は別に風水や方位取りだけではなくて色々な方法がある。例えば、漢方薬で体内の五行や寒暖湿燥のバランスを取ることだって立派な開運法だろう。健康になるということは開運できている状態の一つであるだろうから、標準的な医療で持病を支障のない状態でコントロールすることだって開運だし、黒門さんの所で師範代格らしい竹宮千生さんは骨格の歪みを是正することでも開運できると言っている。当然、化粧だって開運法の一つだろう。色々な方法があるので自分に合ったもので行けば善いと思う。

まぁそうは言っても、普段から開運した自分をイメージし開運のためにアンテナを高くすることを続けるのはパンピーには結構負担が大きいと思う*2。開運法をやって開運を手にするには割と努力が必要だろう。パンピーはやっぱり、

じだらくにねれば涼しき夕べかな

だよね。

しかし、まぁ

開運した状態の自分をどう定義付けるかなんて、私にとっては『魂に聞いてみる*3』レベルの話なわけで簡単ではない。考えすぎと言われればそうなんだろうけど、私はこういう面倒臭い人間にできてるので仕方がない。

でもここまで来ると、アレイスタークロウリーの、

意志を持って行うことは全て魔術である。

まで、ほんの一歩って感じもするよね。

*1:5分くらいから。

*2:何事も例外はあって雨宮零さんのように全然負担じゃない人もいる。

*3:山本貴嗣著のセイバーキャッツ4巻にこんな台詞が出てくる。「魂は─嘘をつかない。」「その日その時その場所で心は姿をかえようと、けして魂は嘘をつかない。」私の好きな台詞の一つだ。

運を乗りこなすには

王様の仕立て屋

本日発売のグランドジャンプに連載されている『王様の仕立て屋』を読んで色々考えた。『王様の仕立て屋』はグランドジャンプでずいぶん長く続いている連載で、テーラー織部悠が主に紳士服を仕立てることで、依頼人の問題を解決してしまう話だ。今回の依頼人は老舗の料亭の若主人で、経営を立て直そうとしている過程で新規顧客の獲得は上手く行っているのだが、旧来の御贔屓筋が店から遠ざかっているという問題を抱えている。次に開かれるパーティで旧来の御贔屓筋にアピールするためのスーツを仕立てて欲しいという依頼だった。

主人公の織部悠は当の若主人と店の雰囲気を確認しながら、若主人に着こなしについてのレクチャーをして行く。老舗の料亭の主であるなら、着こなしにおいて多少の洒落気が必要であるとして、ポケット・チーフ等の細かい点を指摘して行く。その洒落気が織部が仕立てたスーツと相まって懐の深さを生み出し旧来の御贔屓筋が戻ってくる切っ掛けとなる,そんな話だった。

王様の仕立て屋』全体を通じて織部は非常に細かく人と人が来ている服を観察し、人が抱えている問題点の本質を読み取って行く。中医学の達人が問診と脈診で病気の根源を読み取るようにだ。そして『処方』として服とその着こなし方が提示される。多分、処方の本質的な部分は実は着こなし方であり、着こなしの背景となる目的のための雰囲気作りへの積極性と雰囲気を作り出すための基本的な思考の部分ではなだろうか。

大石真行さんの『#運勢コスパ』を読むと開運のための細かいテクニックが豊富に載せられているけれども、結局のところ「開運したいという強い決意」が無い状態では、それらのテクニックは役に立たないわけだ。開運したいという人に開運法を提示することは、開運への積極性が必要であることを理解させ、積極性を持たせることと相まって開運につながるのだろう。

多分、私が開運法を幾つか使っても大した実感がなかったのは、運を乗りこなそうという意志にかけていたからなのだろう。

遙尅課というもの

鏑矢(かぶらや)

中国古代の戦争では音を出して飛翔する鏑矢を敵陣に射かけることで戦闘の始まりとした。“かぶらや”という大和言葉があるので日本の古代の戦争でも似たようなものだったのだろう。鏑矢の同義語に『嚆矢』がある。鏑矢が戦闘の開始を告げるものであることから、『嚆矢』を物事の始まりの意味で使用することがある。例えば、

正岡子規は明治近代歌人の嚆矢である。

みたいな使い方だ。私は愛媛県の出身だが、正岡子規は郷土の生み出した最大の文化人と言って良いだろう。愛媛県の元になった伊予の国は気候が温暖であり結果として、俳句や短歌といった文化活動をするだけの余裕が百姓町人にもあった*1正岡子規は、そういった文化的背景から生み出された存在で、決して突然変異のように出現したわけではなかった。温暖な気候は巨峰正岡子規を支えるだけの裾野の広さを作り出していたわけだ。

と、長い前振りだったけれども、六壬神課にも『蒿矢課』がある。『嚆矢課』でも正しいのだろうけれども、物事の始まりの意味で使われる『嚆矢』と区別するために、私は『蒿矢課』の表記を使っている。六壬の蒿矢課は遙尅課の中で二、三、四課のいずれかから日干が剋されていることをしめしている。日干から剋す場合は『弾射課』という。『蒿矢』、『弾射』とも射撃の意味であり、日干直上の第一課からは離れた所と日干で発生する五行の相剋を表すために射撃の意味の用語が使用されているのだろう。

六壬の各四課で天盤と地盤での五行の相剋について、地盤が天盤を剋するものを『賊』、天盤が地盤を剋するものを『剋』として賊を優先して発用を取ることになっている。遙尅課でも日干を剋するものを『遙尅の賊』、日干から剋するものを『遙尅の剋』の剋として、『遙尅の賊』が優先される。なので遙尅課では蒿矢課の方が弾射課よりも多い。ところで遙尅の賊が複数とか、遙尅の剋しかないけれども、それが複数の場合には、比用で日干の陰陽と合うものを発用とすることになる。

遙尅課の場合は比用までで発用が絞り込めることが判っている。遙尅の渉害を数える必要がなかったことについては、六壬の先人達もかなりホっとしたのではないだろうか。

*1:そうは言っても飢饉と完全に無縁というわけではなかった。飢饉の時に種籾を食べずに餓死したが、次年の農作を守った義農作兵衛の逸話が残っている。

告知色々

実占のためのチャネル

昨年から実占の平場に打って出るべく、徐々にチャネルを増やしているわけですが、1月から2月前半は色々あるので告知しておきます。

宜しく御願いします。