ベストセラーの戦後史

井上ひさしは一時期、文芸春秋に『ベストセラーの戦後史』という連載をもっていた。後にまとめられて単行本として出版されている。その第18回で黄小娥の『易入門』が取り上げられている。

話の枕として、高島呑山という胡散臭い易者が使っていた、脅し、ホットリーディング、コールドリーディングの各種テクニックが紹介されている。もの凄く面白いのだが、私は高島呑山という易者は実在してなくて取材で集めた胡散臭い易者をまとめて作り出したのが高島呑山ではないかと考えている。だって、チョー有名な呑象と象山を足して2で割ったような名前だよ。『ベストセラーの戦後史』によると井上ひさしは高島呑山を見かけて、奇縁からその助手をしていたのが昭和31〜32年にかけてだったとしている。そして高島呑山は浅草国際劇場裏手に自宅兼易断所を構えていたとしている。ところがWikipedia井上ひさしの項目を見てみると、昭和31年に東京にもどってきて浅草のストリップ小屋の台本を書いていたようで、易者の助手をしなくても喰っていけた感じだ。ただ断言するつもりはないので、高島呑山が実在していたという話があったらコメント欄ででも知らせて欲しい。

で、胡散臭い易者の話をしながらも、井上ひさしは黄小娥や『易入門』を割と高く評価している。『易入門』については、

この『易入門』は、まず、六十四卦三百八十四爻(こう)の変化を出すための五十本の筮竹と六本の算木を、たった六枚の硬貨で代用できるのを人びとに教えたこと、そしてあの難解な易経を平易に説いたこと、この二つによって画期的なものとなった。

や、井上ひさしに『易経』についての認識が古い部分があるものの、

むしろこれ*1を座右に備えて、あてもなくページを繰っては、人生全般に関する助言をありがたく汲み取るのがずっと賢い利用法だと思うが、易経のこの本質を、『易入門』はかなり忠実に写し取っているようだ。硬貨占いをする気もなくただ漫然とページをめくる者の目をも時折捉えて離さない力が、この本にはある。

といった好意的な評価をしている。もっとも『易経』が儒家聖典とされるようになった時、卜筮の書としての性格を保持する必要があったというのは、例えば元勇準先生の学位論文等が明らかにしている通りだ。井上ひさしは、黄小娥自身についても、『無愛想が客を呼ぶ』という小項目を立てて好意的な目で見ているということを書いている。

私は高い山は広いすそ野が支えるものだと考えているので、易経の卦辞の部分ではあっても平易で人を引きつける解説で易をやる人のすそ野を一気に拡大した『易入門』は高く評価している。そして黄小娥を排斥した易の業界はちょっと了見が狭かったんじゃないかとも思っている。易のすそ野を広げたことについては、井上ひさしも、

この本のおかげで総本家の易経をのぞいてみる気になったという人も多かったらしい。

と書いている。

*1:易経』そのものを指している。