忘れられない占例

あれは昨年の夏頃、鮑先生の御宅に御邪魔した夜だった。晴明公の画像を頂戴して*1四方山話にふけった後、電車の時間もあることだしそろそろ御いとましようと思い始めた時だった。携帯に着信があって、知人の愛犬がどうにもいけなくなったけれども、持ち直すだろうか?持ち直して欲しいけど、という内容だった。文字にすると、そのときの電話口での雰囲気が消えてしまうけど、本当に切羽詰まった−鮑先生の話ではほとんど絶叫−感じだった。



















































































早速、折り返し電話すると伝えて、携帯から自分の六壬の課式作成のページにアクセスして課式を出してみた。確か第一課と発用が日徳の伏吟課が出たと記憶している。伏吟課であれば予断は許さないにしても第一課、発用とも日徳であれば問題ないだろうということで電話をした。

ところが電話が終わったあと、鮑先生が「返吟課の間違いではないですか?」といわれた。考えてみれば深夜で月将が午なのに伏吟課が出るはずはなく、携帯のキャッシュが残っていただけなのに気が付かなかったのだった。あわてて課式を出しなおして得たのが右の課式だ。返吟課無親格だが発用が官鬼とはいえ日徳、返吟課なら繰り返しの意味もあるし、と考えて訂正の電話はしないまま済ませた。鮑先生は電話のただならぬ様子からもっと考えてみた方が良くはないですかという意味のことを言われたのだが、「まあ発用が日徳ですから」とか答えた記憶がある。

そして帰宅して床について寝入った頃だったか、携帯の着信音で目が覚めた。愛犬が亡くなったとの知らせだった。完全な誤占だった。鮑先生が言われたように、もっとちゃんと考えるべきだったのだ。まず得た返吟課は無親格であり、発用と末伝は同じにならないから、普通の返吟課のような繰り返しの意味は無い。第一課が勾陳の子孫で、生死としては死の要素が強い。発用は日徳とはいえ官鬼であり、生死であれば死が貼り付いている形だ。これらを考えれば、私は以下のように返答するべきだったのだ。

残念ながら今回は助かりそうもありません。
でも苦しむことはなく、安らかな旅立ちです。飼い主が不安だとそれが伝わります。
気を強く持って最後まで一緒にいてあげて下さい。

痛恨の誤占であり、そして貴重な占例になった。

*1:頂戴した晴明公像とオマケの観音像が鮑先生からの形見分けみたいになってしまった。[05/09追記