学と術、それぞれのアプローチ

同じ現象であっても、学*1と術では根本的にアプローチが異なっていることに最近気が付いた。術のアプローチでは、特異な現象を軸にして知識・知見の体系化を行おうとする。しかし学では普遍性を軸に知識・知見の体系化を行っている。そして普遍性を担保するのが実験である。つまり同じ実験システムで何度も繰り返し実験を行うことによって、同じ実験システムというコントロールされた環境では、誤差の範囲で同じ現象が発生することによって、実験結果の普遍性が保証されている。

この実験によって裏付けられる普遍性を軸としたアプローチは実はかなり近代になって生まれたアプローチである。電磁気学におけるオームの法則だが、法則が提唱された当初は実験によって確認されたということによって否定的に受け取られている。このことから考えると物理学成立以前においては、特異例を軸とするアプローチが一般的だったのではないだろうか。易の卦は中国でも特異例に着目していたことを推測させてくれる。

易の小成八卦の内で陽の卦は乾、震、坎、艮の4つだが*2、乾は全陽、震は陽陰陰、坎は陰陽陰、艮は陰陰陽から構成されている。全陽の乾卦を除くと、全て少数派の陽が卦全体を代表していることになる。また実占においても一陽卦である、剥、比、豫、謙、師、復は特殊な存在で、勝負占においては一陽が勝利を予測させるものとなっている。

これは筆者の感覚だが、普遍性に着目する学と特異性に着目する術は盾の両面で、特に人間を対象とするときにはどちらも必要になるのではないだろうか。

ちょっと前にやった四柱推命パーセプトロンの実験だが、普遍性を念頭におくべき学の実験としては不充分である。それは対象としたのが1人であるということではなく、あの実験としては*31人で充分だ。欠けているのは元々の日記から吉凶を抽出する手続きの普遍性である。欲をいえば日記の文章を入力として与えると吉凶を抽出するプログラムを使うことが望ましいが、妥当なところとしては吉凶判断の規則集を作成して、誰がやっても誤差の範囲で同じ吉凶判断になるようにするべきだろう。そこをパスすればどこかに投稿することも可能だろう。

それにしても「オレがやっているのは単なる占いじゃなくて学問だ。」という主張はよく見聞きするが「どこに普遍性が担保されているんだ。学問てやつを舐めるなよ。」というようなものが圧倒的多数派だ。

*1:筆者は科学については物理帝国主義者である。筆者が学という時、自然科学、特に物理学を念頭においている。

*2:残りの坤、巽、離、兌が陰。

*3:手法の有効性を検証するという段階においてはということ。