2004-03-10から1日間の記事一覧

本当に信長は風水を使っていたのか?

直接的にそれを証明することは今はできない。ただ当時、軍師養成機関でもあった足利学校で、易として断易のカリキュラムが組まれていたことを考えると、築城技術として風水の知識が必須であった可能性は否定できない。

もし

本能寺の変が発生しなかったか、信長が生き延びていたら、安土の次は大阪だったろう。ただ大阪も玄武が弱く、別の所に移った可能性だってある。それは江戸だったのではないだろうか。もしそうだったなら東京という名前は、信長によって数百年早く使われてい…

安土城

安土城は信長に余裕ができてからの城なので、水にも気を配っている。琵琶湖という水は魅力的な存在であっただろう。ただ玄武が鈴鹿山地といささか弱い。信長にとっては不満の残る城であっただろう。おそらくは日本コバを父母山として、繖山(きぬがさやま)…

岐阜城

信長は、斎藤道三が整備したこの城を攻略した後に、この城を拠点として京都を目指している。信長は非常に遠い将来まで考えていたようで、天下布武の印も岐阜に拠点を構えた直後から使用し始めている。そうその前に、地名を岐阜と改めていたのだった。商(殷…

信長の野望

風水は、信長やその後継者である秀吉、家康の行動の背後にあったものの一つだと考えられるわけだが、信長の城を少し風水で見てみようと思う。