今昔物語に残る相術の逸話

以下で引用箇所は、三章企画様の今昔物語から引用させて頂いてます。

今昔物語*1の巻二十四、第二十一話に「僧登照、朱雀門の倒るるを相せし語」という話がある。これは人相の達人であった、登照という僧侶についての2つの話題から構成されている。1つは表題にある、朱雀門が倒れることを予想して、多くの人を救ったという話、もう1つは笛の音の音相から通りすがりの人の寿命を読み、その人が大変な功徳を積んだことを見出したという話である。

まずは前半、

 ある時、登照が外出をしたおり、朱雀門の辺りを通りかかった。門の下には、老若男女が数多く休んでいたが、登照が何気なく見ると、その門の下にいた者すべてに、すぐ様の死相が出ていた。
 これはどういうことか、と思った登照が立ち止まってさらによく見ると、ますます死相が顕わになっていた。登照は死相の理由を思い巡らした。
 「すぐにでも彼らが死ぬような理由とは何であろう? もし悪人が来て殺したとしても、何人かは殺しても、みながみなすぐに死ぬようなことにはなるまい。これは不思議なことだ」
と考えるうちに、
 「もしかして、この朱雀門がすぐにでも倒れるということか。ならば、押し潰されてみな死んでしまう」
と思い当たって、門の下にいた人たちに向かって叫んだ。
 「見るがいい。朱雀門が倒れて押し潰されて、みな死んでしまうぞ。早く逃げよ」
 声を挙げて叫んだので、聞いた者たちは、あわててばらばらと逃げ出した。
 登照も遠くに逃れて立っていると、風も吹かず、地震で揺れもせず、塵ほども門が歪んでいるわけでもないのに、急に門が傾いて、倒れた。
それで、急いで逃げ出した者たちは、命長らえた。
しかし、強情を張って(登照のことばを信じないで)、門から逃げ出さなかった者は、何人かが門に押し潰されて死んだ。

この話は私にとってかなり強烈な印象を残した。血色、気色の読める人ならこういったことも可能なのだろう。しかし、血色、気色そして画相を極めたとしても人相を極めたわけではないそうだ。登照の話の後半を読むとわかる。

春の頃、雨が静かに降る夜のこと、登照の寺の前を笛を吹きながら通り過ぎる者がいた。登照はこれを聞くと、弟子の僧侶を呼んで言った。
「この笛を吹きながら通り過ぎる者は、誰だかは知らぬが、あと僅かの寿命のような笛の音に聞こえる。彼に告げねばなるまい」
と言ったものの、雨はひどく降り出した上、笛を吹く者も只素通りに通り過ぎていったので、告げることなく終わった。
明くる日、雨は止んだ。
その日の夕暮れ頃、昨夜の笛吹が、また笛を吹きながら帰ってきたのを聞いた登照は、
「この笛を吹いて通る者は昨夜の笛吹に違いないが、これは奇妙なことだな」
とつぶやいた。弟子が、
「そうでございます。何事があったのでしょう」
そう尋ねた。登照が、
「あの笛を吹いている者を呼んでまいれ」
と命じたので、弟子は飛んでいって連れてきた。
見ると若い男で、侍と見えた。登照は、彼を目の前にして、
「あなたをお呼びだてしたのは、昨夜笛を吹いて通り過ぎた時、あなたの寿命が、今日明日にでも終わるような相が、笛の音から聞こえました。そのことをお伝えしようと思いましたが、雨がひどく降り始め、あなたもすぐに素通りして通り過ぎてしまったので、伝えることができませんでした。」
「それで、残念に思っておりましたが、今夜その笛の音を聞くと、かなり寿命が延びております。今夜、どんなことがございましたか?」
と尋ねると、侍は答えた。
「今夜は何事もございませんでした。ただ、昨夜、ここから東の川崎と言う場所で、ある人が開いた普賢講で、伽陀に合わせて笛を一晩中吹いておりました」
登照はこれを聞いて、おそらく普賢講で笛を吹き、その結縁の功徳でで、たちまち罪を償い延命できたのだと考えると、ひどくありがたいことの思え、泣きながら男を拝んだ。侍も事情を知ると、喜びありがたがって帰っていった。
これは、最近のことである。

今は昔、ニフティの占いフォーラムが健在だった頃、占いフォーラムに参加していた大先輩に吉田さんというハンドルの方がいらした。相術の八木喜三朗先生の最晩年の御弟子さんだったそうなので、天道先生とは同門ということになる*2

吉田さんは相術の奥深さについて、画相、気血色の奥に、「目の相(光)」、「神気(オーラ)」があって、最後の最後に「声(声相)」があると語っていた。八木先生は顔も見ないで声で占うこともあったらしい。吉田さんも天童先生と同じく後輩の我々に諄々と諭すように色々なことを教えてくれた。八木門下には良い人が多いのかもしれない。

*1:正しくは「今昔物語集」だそうな。

*2:天道先生よりも2歳くらい下らしい。