巨木伝説

メタセコイア

メタセコイア

私は四国の片田舎、伊予市郡中で生まれ育った人間で、18で大学進学するまでは郡中の外で生活したことはなかった。伊予市はのんびりしたところで特徴があまりないところだが、それでも珍しいものが皆無というわけではない。

伊予市の森の浜には砂層、礫層、粘土層、シルト層、テフラ層を挟む約100万年前の郡中層と名付けられた地層が露頭している。この郡中層からは色々な化石植物が出てくる。印材としてかなり採取されてしまったが、今でも大潮の頃に行くと潮が引いたところでメタセコイアの化石を見つけることができるんじゃないだろうか。

この森海岸で見つかる古代植物の化石がネタになった巨木伝説が伊予市に伝わっている。古代、森海岸には扶桑木と呼ばれる巨木*1が生えており、その陰は九州を覆っていた。九州では扶桑木のためにまともに日の射すことがなく、困った九州の人が木を切り倒しにやってきて、何年かかかって切り倒すことができた。切り倒された木の先端は豊後水道を越えて杵築*2に到達し、扶桑木を切りに来た人は木の上を歩いて九州に帰った。というのがその概略である。

この古代木の化石は何度か調査されたが、その結果メタセコイアを主とする化石植物であることが確認された。なので伊予市の木はメタセコイアになっている。私が通った郡中小学校にもメタセコイアが植えられていたが、今はもうない。今は現在建築中の保育所の周りに何本も植えられているらしい。メタセコイアはその姿が非常に美しい。針葉樹の基本形のような円錐形を保って真っ直ぐどんどん伸びる。歴史時代に入っても日本にメタセコイアが自生してたなら巨木伝説のネタになった可能性は充分にあるだろう。

扶桑木の観察 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/imasizen/11gatu%20iyosy.htm
扶桑木 http://members.aol.com/miyuttunsg/fusouboku2.htm

で、私は中国で日本を扶桑国と呼んでいたことから、歴史時代にもメタセコイアが日本で自生していた可能性は高いと考えている。

なおメタセコイア命名者が日本人の三木茂博士であったことは、そんなに知られていないのではないだろうか。メタセコイアは世界的に絶滅したと思われていたが、中国で自生地が発見された。そして中国のメタセコイアがその後アメリカで栽培されて、戦後日本へアメリカから苗木が提供された。このある意味数奇な運命をたどってメタセコイアは日本に戻ってきている。このあたりの事情をまとめたのが「メタセコイア昭和天皇の愛した木(購入)」(ISBN:4121012240)である。メタセコイアの和名が曙杉(あけぼのすぎ)というのはひょっとしたら扶桑木がメタセコイアであることが影響しているのかもしれないと郡中生まれの私は勝手に想像している。

*1:一説には桂の木ともいう。

*2:杵築の地名は木が着いたことから名付けられたというオマケがある。