伏吟課というもの

前回のエントリ玄珠さんからコメントをもらった。

立課に関して誤りがあった場合、誤ったままの課で判断した方がよいような気が経験上しています。













































































記憶を頼りに復元してみた『間違って得た課式』は右のようなものだったと思う。あの日の昼頃に何か占ったのだろう。課式を見てその時の記憶が出てこなかったので、すごく下らないことを占ったんじゃないだろうか。

電話をもらったときに第一課、発用とも禄徳だったので、伏吟課とはいえ何かあるにしても時間の余裕はまだあるはずと考えたのだと思う。しかし伏吟課の特性についてちょっと考え直してみれば、あまりに安易な判断だったと思う。少なくとも近代六壬の伏吟課においては、初伝と末伝が同じにならないように三伝が構成されていることは、六壬者なら誰でも知っていることだろう。

つまり伏吟課を得た時は、一端事が起こってしまうと元に戻らない。ましてや件の課式は玄胎格であって、極端な変化をあらわしてもいるわけだ。しかも第一課、発用の天将は勾陳であり、助からないと見るべきだった。ただ禄徳を得ているので、あまり苦しまずにすむだろう、ということになる。

なのでちゃんと考えれば、正しい時刻での課式でも、間違って得た課式でも、同じような判断になっただろう。ただ私としては、正しい時刻で得た課式でもって判断するべきだろうと考えている。この辺りについては、六壬バカの私と易の実占家としても一流の玄珠さんとの感覚の違いがありそうに思う。

インド占星術における4室

林巨征、羽田守快の両先生のコラボ講習会*1に参加させていただいているわけだけど、前回の講義で、宿曜占術に関連して一つ発見があった。羽田先生の尊星王流の宿曜では、太陽占星術と同じように太陽宮*2を命位として、ホールサインでハウスを切って行く。そして第4室が田宅位となる。

4室が田宅なのは古い占星術だと共通しているわけだけど、尊星王流の宿曜では田宅位には母親の象が含まれるとしている。これは現代のインド占星術でも同じで、4室から母親を読み取ることになっている。

コラボ講習会で配布された資料によると、尊星王流の宿曜*3では、母胎を最初の住まいとしてとらえているために田宅位を母親とするそうだ。[05/09追記

尊星王流の宿曜は、日本各地の御寺に残る宿曜の記述を集めて、古い宿曜を復元したものなので、インド占星術で4室を母親とするのは、極めて伝統的な解釈なのだろう。このはてな日記でも2回程、田宅宮と両親について考察したことがある。

結果、田宅宮が両親のどちらをあらわすかは『家』の有り様と強く結びついていそうだった。インド占星術が成立した頃のインドは、母系社会的な『家』のシステムが採用されていたのだろうと推測している。

*1:林巨征先生のサイトのコラボ講習会へのリンクが昔のものでした。

*2:あくまで太陰太陽暦から算出するものではあるけど。

*3:に限らずなのだろうけど。