事件はいつも『通常の自衛』を越えて発生する

11月25日に出た産経新聞曽野綾子氏が『オピニオン』に書いた記事がトリガになって、はてな周辺で大きくわけで2つの立場から多数の意見がでた*1。2つの立場というのは、

  • レイプされたくなきゃ女は自衛しろ。危ない場所、危ない時間帯に1人で出歩くなんてやめろ。
  • レイプ事件の現実も知らずに勝手なことを言うんじゃない。第一、その自衛しろという発言をレイプの被害者が見た時、それはセカンドレイプに等しいことを知れ。

で、色々な発言を見てて思ったのが、ほとんどの女性が『通常レベルの自衛』を励行しているということだ。そして犯行は必ずその『通常レベルの自衛』を越えて発生する。当たり前だけど犯人が、装備、狡知、暴力、根気の少なくともどれか一つで『通常レベルの自衛』をうわまらない限り犯行が成立しないからだ。

で、『通常レベルの自衛』でよく言われるのが「危険な所に行かなければ良い」なんだけど、これを言う人の頭からは多分、この『危険な場所』が固定されたものではないということが抜け落ちていると思う。

レイプ事件ではないけど秋葉原通り魔事件では、普段全く安全なはずの秋葉原歩行者天国が惨劇の舞台となっているし、自宅でレイプされたとか、普段使っている道で犯行に遭ったとか、通常は安全な場所が犯人によって危険な場所に変貌させられている。こういう通常は安全な場所のわずかな変化から危険を察知するというのが護身の一つの完成形だろう。

戦国時代に塚原卜伝という武芸者がいた。Wikipedia - 塚原卜伝によると、塚原卜伝は生涯において39度の合戦、19度の真剣勝負に臨んで一度の負傷もなかったそうで、記録に残っているだけでも212人を切っている。多分、講談レベルなんだろうけど、この塚原卜伝に以下のような逸話が伝わっている。

塚原卜伝の高弟の一人が道を歩いていて、道端に繋がれていた馬の近くを通りかかったとき、馬が急に跳ねて後ろを蹴った。件の高弟はヒラリと身をかわして事なきを得た。それを見ていた人達が「さすがに卜伝の高弟、大したものだ。」と誉めた。それが卜伝の耳に入ったとき卜伝は憮然として「まだ修行が足りないな。名人はそんな危険な場所は歩かないものだ。」と言ったという。

急な事態にとっさの判断で身をかわせる卜伝の高弟においてさえ、『通常レベルの自衛』では馬が跳ねる危険は事前に察知できず、それを察知できるのは卜伝レベルでないと無理ということだ。私にはネット上で女性に『自衛』を言うのは「ちょっと気をつければ塚原卜伝くらいの危険察知ができるよ。」と言っているのに等しいように聞こえる。しかし212人を切った卜伝が到達できた境地に全ての女性が到達できるとはとても思えないがどうだろう?