受けて立とうじゃないか
id:consigliereさんから「レポートがあると思いますので、それを楽しみにしましょう。(id:consigliere:20050901:1125557241)」といわれてしまった。
実は六輝(六曜)と六壬時課の関係については、岡田芳朗:「暦ものがたり」、角川選書31、の10章で既に詳しい考察がなされていたりする*1。六壬時課は小六壬の別名があり唐代の李淳風の発案といわれているが、六壬という名前からするとその起源はもっと逆上れそうな気もする。
以下、ほとんど暦物語からのパクリだが。
六壬時課は宋の時代にはかなり知られていたようで、「事林広記」に詳しい説明があると聞いたが、id:consigliere:20050901:1125557241で現物で確認することができた。この事林広記の六壬時課は現代の小六壬と同じく日取りの吉凶ではなく、時刻の吉凶を占う術で、いわゆる旧暦を使って時刻に大安、留連、速喜、赤口、小吉、空亡の6つを対応付けて占う。
例えば旧暦で、正月・七月の朔日が大安、二月・八月の朔日が留連、三月・九月の朔日が速喜、四月・十月の朔日が赤口、五月・十一月の朔日が小吉、六月・十二月の朔日が空亡となっている。小六壬はこれを基に時刻の吉凶を占うが、やりかたは、旧暦の十二月五日の亥刻の吉凶を占うとすると、十二月朔日は空亡なので、一日−空亡、二日−大安、三日−留連、四日−速喜、五日−赤口、と数えて、五日の子刻が赤口となる。ここから、子−赤口、丑−小吉、寅−空亡、卯−大安、辰−留連、巳−速喜、午−赤口、・・・・、亥−速喜となる。「暦ものがたり」に引用された「事林広記」では、速喜の説明は以下のようになっている。
速喜は喜び来臨す。財を求めて離の上に尋ぬ。失物は坤・午・未。人に逢は路上に尋ね、官事福徳有り、病者禍侵無し、田宅六畜吉、行人信音有り。
これが元々の六壬時課だが、六壬時課と同じものが「天保新選 永代大雑書萬暦大成」に“壬時のうらなひ”として出ている。この大雑書には既に今の六輝と同じものが“六曜星日取考”として出ているので、天保の頃には日本で独自に日取りを占うための術に変貌をとげていたと考えていいだろう。
「暦ものがたり」によると、日本では「頭書長暦」に小六壬を日取りの占いに用いた例が出てくるそうだ。「頭書長暦」の朔日の六曜は、正月・七月が大安、二月・八月が立連、三月・九月が則喜、四月・十月が赤口、五月・十一月が小吉、六月・十二月が虚妄となっているそうだ。「頭書長暦」は貞享五年(1688)の出版*2。これは「事林広記」と同じと考えていいだろう。「頭書長暦」の六曜から今の六輝までには、多くの変遷があったと考えられる。
現在の六輝は、太陰太陽暦における朔の六輝が、正月・七月が先勝、二月・八月が友引、三月・九月が先負、四月・十月が仏滅、五月・十一月が大安、六月・十二月が赤口になっている。名前にしても原型を止めているとおぼしいのは、大安と赤口だけだ。留連→友引、速喜→先勝、小吉→先負、空亡→仏滅と変遷したと推測している。この中で小吉→先負がかなり本来の意味から捻じ曲げられていて、小吉には将吉という表記があるくらいで相当良い吉を表していたが、速喜→先勝の変遷の結果、先勝に対応する先負にされてしまっている。
もっとも中国でも小六壬を日の吉凶の判断に用いた例もあったそうだが*3あまり流行らなかったようで、時刻の占いとしての小六壬の方が生き残っている。中国の暦には今でも小六壬の解説が出ているので、多分id:kuonkizunaさんは見たことがあると思う*4。
私が事林広記に興味を持ったのは、いつものように玄珠さん情報がもとになっている。それによると六壬時課が六壬の名を冠するようになった起源として、六壬時課の六曜と六壬の十二天将の一部が対応付けられているとのことだった。確かに大安は青龍と対応付けられており、青龍は四神の一つだが天将でもある。
小六壬の占いがどんなものかは以下で体験できる。
http://www.yk.rim.or.jp/~hmatsu/office/shou6jin.html