四国の牛頭天王信仰
四国の香川県から愛媛県東予部にかけては牛頭天王信仰の痕跡が色々と残っている。祖父が御守りしていたのも天王社と龍泉寺という小さな御堂のセットだった。この天王社は旧周桑郡丹原町田野に鎮座していて*1東予部なのは間違いない。
本論と関係ないけど龍泉寺の本尊は千手観音で、彫刻の上手かった祖父は仏像の修復とか自分でやっていたらしい。私が使わせてもらっている算木と爻卦のセットも祖父の作品だ。
警官だったけど恩給が付くようになるとすぐに聖護院に行って得度したそうだ。恩給暮しのくせに10人の子供を作ったので赤貧洗うがごとしの生活で、亡くなった父や伯父達の中学進学*2は無理だったらしい。そこを学資を援助してもらえたので父や伯父達は中学進学できたのだそうだ。その援助者の西さんの御墓は今治にあり、父は必ず春秋の御彼岸と御盆には墓参りに行っていた。その西家の御墓のある御寺の近くに祇園社がある。
今の祭神とかは知らないけれども『祇園』なので、牛頭天王を祀っていたことがあるのは間違いないだろう。
このように東予部には天王社や祇園社が点々と存在している。
そして牛頭天王は『簠簋内伝』を通じて陰陽道と繋がっている。香川県の観音寺*3市には、香川甚太夫が祀っていた泰山府君祠碑が残っている*4。泰山府君祠碑は移設されて今は本村空*5墓地の一角にあり、碑文は一切読めないくらいになっている。それで観音寺市の文化振興課に問い合わせた所、丁寧な回答を頂戴した。下は「ふるさとの石の文化ー碑ー篇」(平成6年発行)の一部で、泰山府君祠碑の説明の部分だ。
香川甚太夫は祈祷師であり陰陽師*6だったようだ。
そしてわざわざ現状の写真を撮って送って頂いた。
写真中央にあるのは『農道パイプライン整備事業』の竣工記念碑で、泰山府君祠碑はその左側の背の高い石碑だ。表面は読むことができない。場所は大野原町花稲1258付近だ。