乾卦納甲の特殊性

ダイアトニック・スケールと十二支


上の図の右側のように、ダイアトニック・スケールではミとファの間が半音上昇になる。この場合、ピタゴラス音階の12音と十二支を対応付けた時に午の音は巳から半音上昇なので黒鍵になる。つまり午に対応する音はダイアトニックにならない。

基本的な原理としては、各小八卦の初爻への納甲十二支は、長中少老と陰陽で下表のようになるはずだ。

 
震(子)坎(寅)艮(辰)乾(
巽(丑)離(卯)兌(巳)坤(未)

しかしながら乾卦は午でなく子になる*1。これについては返吟を減らすためという理由付けがなされることが多いけれども、古人は結果からの逆算修正ではなくて別の原理に基づいて午ではなくて子にしたというのが私の考えだ。

その原理が、ここでも時々言っている、陽卦の初爻はダイアトニックな音でないといけなかった、というものだと今は考えている。陰卦については、逆進するので長女の巽卦で既にピタゴラスのコンマを越える。そのためにダイアトニックな音ではないというシバリが存在しなかったと考えている。それで乾卦については初爻への納甲が甲午ではなくて甲午と同じ納音になる甲子としたのではないだろうか。

この考えをこの前の張先生との懇親会で元音楽家のCHAZZ先生に披露したのだけれども「中国で半音上昇が認識されるようになったのが何時頃からか分からないので何とも言えない」というとだった。私的には『桑間濮上』が指す亡国の曲が『清商』のメロディーであり、清商は商音で半音上げることを意味することを知っていた*2ので、かなり古くまで遡ることができると考えている。

玄珠さんにこの辺りを聞いてみたところ、

百度百科を見たら、七音音階は中国の戦国時代にはすでに出現していた、とのことです。
以前「周は五音、殷は七音」というのを『礼記』か『国語』で読んだ気がします。
文献史料だけでは実に心許ないのですが。

というとだった。少なくとも卜筮正宗が書かれた時には確実に半音は知られていたと考えている。

追記(2023-03-02)

玄珠さんから、戦国初期にあった曾国の「乙」という君主の墓である『曾侯乙墓』から編鐘が出土していて、それは12音を前提としているので、戦国時代には既に半音が知られていただろうと知らせがあった。中国 Wikipedia に『曾侯乙编钟』の項目がある。

*1:原理通り午にする納甲法があるのは知っている。

*2:韓非子十過』のエントリを参照のこと。