陰陽五要奇書と土御門晴親

斉政館

以前の『カルチャーセンター斉政館』のエントリで書いたように、陰陽頭となった土御門晴親*1は私塾『斉政館』を開いて占術、暦法の講義や古典の出版を始めた。その中に斉政館で翻刻した『陰陽五要奇書』があった。『陰陽五要奇書』は名前の通り以下の5冊の書籍に『八宅明経』を加えて1冊としたものだ。

  • 郭子元経
  • 璇璣経
  • 陽明按索
  • 佐元直指図解
  • 三白宝海

もっとも『陰陽五要奇書』の出版といっても、郭子元経と璇璣経の2書に留まったらしい。そして土御門晴親はこれに熱い序文をつけた。
この序文だが部分的には、リビングカルチャー倶楽部での木下琢啓先生の講義で知っていたのだけれども、やっと全文に触れることができた。
この序文は、水野杏紀『江戸末期の土御門家と陰陽書出版について』の付録6に全文が収録されている。その一番熱そうなところはこんな感じだ。

且説、自我宗司天文、地理、隂陽五行之大道以来、歷年既千三百、歷世既四十。是以自古至今負笈来、就黌館而學者亦不鮮也。但以所知導童蒙、蝝慕。求我者則不敢辞焉。亦吾分之所福也。常立日課、為童蒙講説五要竒書及通德類情等數年。于茲然後、怡然理順。不亦快乎。余也憾斯書不多。

文中「童蒙」は易経の『蒙』の卦辞「匪我求童蒙。童蒙来求我。」を踏まえたものだろう。無知な若者ということだ。続く見慣れない字を含む「蝝慕」だけれども、『蝝』はバッタの類でまだ羽が生えそろってない幼虫を指す文字で、これもまた無学な若者なのだろう。それが慕って来るというわけだ。これらを踏まえて、前掲論文著者の水野さんはこの部分をこう解釈している。

さらにいう、我が土御門家は宗祖が天文、地理、陰陽五行をつかさどる官職に就いて以来、既に千三百年を経ており、四十代にわたりその職についている。こうして古き昔より今に至るまで、これらの学問を受け継いできた。また我が館にて学ぶ者も少なくない。ただこうして、知識の足りない者を教導している。自分を必要としている者がいたなら、自分はあえてそれを辞退しない。これはまた、私の喜びとするところである。常に日課をたてて、知識の足りない者達に『五要竒書』、『通德類情』を講説して数年が経つ。こうした後は喜び楽しんで道理に順うのである。なんと快いことではないか。私はまた、世に『五要奇書』のような書が多く流布していないことを憂う。

ウチの家は1300年40代の歴史があると言ってるわけだ。そして『陰陽五要奇書』のような書籍が少ないことを嘆いている。

ただ晴親卿が持ち上げた『陰陽五要奇書』は中国・台湾ではほとんど知られてないようだ。
先日の張玉正先生を迎えての懇親会の席で、張先生に『陰陽五要奇書』を知ってるかと聞いたら知らない感じで、スマフォで検索して「こんなのあったんだ」という感じだった。
同席していたCHAZZ先生も「自分が習った先生は偽書だと言ってた」ということだったので、『陰陽五要奇書』は中国・台湾ではほとんど評価されてないのは間違いない所だろう。

なお斉政館では、『陰陽五要奇書』等を元にして『方位便覧』が出版されている。これは明治になって松浦琴鶴*2の孫が改訂したものを出版している*3。この『方位便覧』が日本の方位術の直接のルーツなのかもしれない。

*1:1788-1842年 ほぼ徳川家治の治世と重なっている。

*2:家相家であり、日本の九星術濫觴

*3:前掲論文による。