だらだら書いてみる

君が入る鞘はあるのかい

昔、『季刊五術』という香草社の会報があった。それに佐藤六龍先生の昔話が時々乗ってた。その1つに人相の話があった。こんな話だったと記憶している。
六龍先生が大熊光山からふと、

佐藤君、縁談でもあるのかい。
魚尾*1の所に気色が出ている。

実際、縁談が持ち上がっていたので六龍先生は驚いたそうだ。
そしてその話を中村文聡の所でしたところ*2、中村文聡は火鉢をつついていた火箸の先をぬぐって、

久しぶりに人相でも見ますか。

といって、火箸の先で六龍先生の魚尾を指しながら、

確かに魚尾に黄色が出ている。これは縁談だろうが、先の方で色が流れている。
これは立ち消えだね。

と言ったのだそうだ。その指した箇所が大熊光山とぴったり一致していたので、六龍先生また驚いたそうだ。
そしてその縁談は途中で立ち消えになったそうだ。

これを読んだとき人相て凄いものだなと思ったと同時に、大熊光山は気色を読むモードを常用していたのに対して、中村文聡はそうではなくて意識して気色を読むモードに入る人だったという、両者の違いを感じた。

傑作時代劇映画に『椿三十郎』がある。おっとりした家老の奥方を三船敏郎演じる主人公の椿三十郎が見張りとかバッサバッサと切って救出するのだけれども、その躊躇なく人を切る様を見た奥方がこう言うのだ。

あなたはギラギラとして、まるで抜き身の刀のようね。でも、本当にいい刀はきちんと鞘に入っているものですよ。

なんか大熊光山ってギラギラした抜き身の刀のような人で、中村文聡はきちんと鞘に入った人だったんじゃないかと感じた。
晩年、孤独だったと聞く大熊光山と多くの弟子に囲まれた中村文聡の違いはこんなところに出ていたんじゃないだろうか。

*1:目尻の部分の名前。

*2:確か大熊光山と中村文聡は仲悪かったと聞いたことがある。その両者の所に出入りできてたのが六龍先生の人徳というものなんだろう。