ケプラーと占星術

割と辛辣な本

ケプラーが生活の糧であった占星術をどう見ていたのか、占星術へのあの辛辣な言葉が本当にケプラー自身のものだったのかどうかを調べるために『占星術 (文庫クセジュ 535) 』を入手した。本書はフランス人の天文学者である Paul Couderc の著書“L'astrologia”を翻訳したものだ。初版が1954年とかなり古い*1。訳者による序文に、

したがってよく言われるように、錬金術と化学が、占星術天文学がそれぞれ明確に分離したのは、自然科学が証正な学問として整備される大きな段階だったに相違ないが、逆に見れば、それは古い学問の擬似形態に託されてきた人間の夢が純化される契機でもあったのではなかろうか。

その意味で、本書の著者クーデールが現代占星術の頑迷な誤謬と商業ト占主義的形態を猛烈に攻撃しているのは天文学者として当然であるとともに、反面では右の歴史的契機を肉化し得ない神秘学がもはや成立たないことへの暗黙の警告とも受け取れる。著者が説いているのはむろん合理的進歩主義だが、その自然追求の冷静な意志がこういう烈しい論争的な文体を借らざるを得なかった理由はあんがい深い所に隠れているのかもしれない。また本書は、現代西欧社会における非合理的なものの風俗史のひとこまとして読むこともでき、わが国の現状と照らしあわせて興味深いものがある。

とあるように、原著者は占星術に対してかなり否定的な書き方をしている。

愚かな娘である占星術が賢い母である天文学を養っていたという言葉はまず、ケプラー占星術への言葉の前段に出て来る。ここではケプラーではなくクーデールの言だ。

占星術の人気は依然として衰えなかったので、天文学者もしばしば星占いで生計を立てざるを得なかった。つまり占星術は、その生みの母たる天文学を養っていたわけである。
ケプラーはその小著『蛇つかい座の新星』L'Etoile nouvelle du Serpentaire の中で、右の事実をみごとな言葉で語っている。

基本『天文』とは天体観測とそれを使った占いのアマルガムだった。それは西洋でも変わらなかった。占星術が必要としたからこそ精密な天体観測が行われた。
とりあえずこの文章を踏まえた上で、ケプラーが語ったとされる占星術への評価を読んでみよう。

気むずかしすぎる哲学者よ、あなたが気違いだと思っている娘が、賢いけれども貧しい母親の生活を支えてやるのを、どうして嘆くことがあろうか。この母親が苦しんでいるのは、ただ娘よりもっと気違いじみた人間たちの間で同じ気違い沙汰が行なわれているからではないか。もし人々が空の中に未来を読み取ろうという軽々しい期待をもたなかったなら、あなたは天文学をただ天文学それ自体のために研究するほど賢明であったろうか。

出典が明記されているので、ケプラー自身の言葉なのは間違いないだろう。確かにケプラー自身も「あなたが気違いだと思っている娘が、賢いけれども貧しい母親の生活を支えてやる」と語ってはいる。しかしながら占星術が気違いじみたものであったとしても、それに一喜一憂する占星術の愛好家はもっと気違いじみた存在だ、というのがケプラーの言い分だ。ケプラーは決して生活のためと割り切って占星術師を務めていたわけではなさそうだ。そして占星術が聞こえの悪い仕事や娼婦仕事とは言っていない。

これに続いて、ケプラーが作成した天文表である『ルドルフ表*2』の序文が引用される。
これは精密な天体観測でケプラーの3法則への道筋をつけてくれたティコ・ブラーエへの賛辞を兼ねている。

私の考えでは、ティコ・ブラーエの名誉に帰すべきものはなによりもまず、彼がこうしたすべてを、占星術の迷信からすっかり解放された自由な精神をもってなしとげたということである……彼はその著書においても、日常の言動においても、占星術師たちの正真正銘の無価値さを、その無学さを、金で言いなりになる卑屈さを、絶えず暴きたててやまず、彼らを嘲笑し非難する機会はなひとつとして逃さなかった。

もっとも彼は、星辰が地球に与える影響を否定したわけではけっしてなく、この影響についての研究は、むしろ彼の《哲学》の卓越した一章をなしているのである。だが彼はきわめて正確な判断力をもっていたので、一般的・普遍的なたものとしてのこうした星辰の《効果》と、人間個々の事象への《干渉》とされるものとを区別しなければならないことを、よく弁えていた。

しかし、何ひとつっ正当な根換もないままに奇典的予言を軽々しく信じこみ、偽りのニュースをばらちまきやすい一般俗衆には、右のことが理解できないのである。

つまりケプラーもティコ・ブラーエも占星術を否定したわけでなく、占星術を娯楽にして一喜一憂する俗衆を否定したのだ。やはりケプラー占星術天文学が分離する直前の時代を生きた人だった。

ということでやっぱり銀河孤児亭さんの『「チ。―地球の運動について―」感想。〜歪で不誠実で不愉快なこの傑作漫画について〜』のエントリでのケプラーの扱いは「歪で不誠実で不愉快」だと思うね。

*1:私が生まれる3年前だ。

*2:神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の勅命により1627年にケプラーが作成した。