指年法

京都大学図書館本

占事略决』の写本の1つ京都大学図書館にありデジタル・アーカイブで公開されている。この写本は現存する4つの写本の1つだ。京都大学図書館に寄贈された『清家文庫』に含まれていた。清家文庫というのは京都大学による紹介では、

清家文庫は清原夏野(782~837)27世の孫少納言舟橋秀賢を家祖とする元子爵舟橋清賢氏の伝襲本である。

舟橋家は清原夏野以来,明経博士をもって経書を講じ,現当主の先代逐賢にいたるまで,その家学を継承した儒学の名家である。菅家とともにわが国儒学の双へきであった清原家は後に舟橋と改姓し,あるいは分家して伏原と称したが清原元輔以来,清少納言,頼業等その一門より学者,文人が続出し,学界に輝しい足跡を残している。特に宣賢,業忠,国賢等は碩学の誉高く,特に宣賢は室町時代の代表的経学者として知られている。

とのことだ。文庫内の文書の多くは「文書記録は室町期をさかのぼるものはなく,その成立は主として徳川期」だそうだが、占事略决の写本は保元元年(1156)に指神子安倍泰親が子息の親長に伝授を行った時に使用された写本を安貞三年(1229)に安倍泰隆が書写したもので、かなり古い。こういう写本が清家文庫に所蔵されていたのは、文書家が陰陽家と元々近かったことの傍証ではないかと私は推測している。

閑話休題、この京都大学図書所蔵の占事略决が重要なのは、この写本にのみ『指年法』が記載されているからだ。今日では『指年法』に大した意味があるとは考えてないけれども、かっては物忌をするべき人間を指定するための重要な技法だった。写本では簡潔に書かれている。『占事略决』の37と38コマだ。私の翻刻だとこうなる。

指年法
病事
男以功曹加蛇虎魁罡以大歳上為年
女以伝送加蛇虎魁罡以大歳下為年
口舌
男以功曹加朱雀勾陳以大歳上為年
女以伝送加朱雀勾陳以大歳下為年
慶賀
男以功曹加青龍大裳以大歳上為年
女以伝送加青龍大裳以大歳下為年

男が功曹、女が伝送というのは六壬の基本みたいな感じだ。生まれてくる子供の性別を知る法などでも踏襲されている。
『病事』の男をざっと解説してみると、

男の場合は、功曹を騰蛇や白虎、あるいは河魁や天罡に加えた天地盤を作成して、天盤が太歳*1に当たる所の地盤支の歳に生まれた者を対象とする。

くらいだろうか。ここで問題になるのが、功曹を騰蛇や白虎に加えた天地盤をどうやって作成するかだ。天将は本来、天盤の黄道十二神に乗じるもので地盤には来ない。
天将の本地の十二支を地盤で使う方法もないことはないだろうけれども、やっぱり騰蛇や白虎が乗じた黄道十二神を地盤に見て功曹を加えて天地盤を作成するというのが素直な読み方じゃないだろうか。ただこのやり方だと面倒臭いことが発生する。

例えば、甲日の昼に*2上図の左端の天地盤を得たとする。すると騰蛇は勝光に乗じていて勝光は午だ。そこで功曹(寅)を午に加えた天地盤を作成する。すると甲日の昼貴人は小吉(未)に乗じる。すると小吉が乾の天門を越えて亥宮に移動してしまう。すると天将の配布が逆から順に変わって、騰蛇が乗じるのが伝送(申)となってしまい、功曹を騰蛇に加えたことにならない。それが中央の天地盤だ。

そこで功曹を申に加えた天地盤を作成すると右端になる。この場合貴人は寅宮に居て地戸を越えるかなり手前に居てくれるので、やっと功曹を騰蛇に加えることができた。

この場合はなんとか騰蛇に功曹を加えることができたけれども、状況によっては功曹や伝送を目的の天将に加えた天地盤が作成不能なこともありそうだ。まあ昔の人は天地盤240通りくらいは暗記してただろうから苦労はそんなになかったのだろうけど。

ということで前日の占いで、天将に功曹や伝送を加えることを放棄して、魁罡も冲だし功曹-伝送も冲だし、今年は寅歳だしを考慮してザックリと魁罡の辰戌生まれとみた。

なお魁罡は河魁(戌)と天罡(辰)の総称だけれども、吉神凶煞の魁罡も辰と戌にしか来ないことは覚えておいて損はないだろう。

*1:筆が消耗品だったので、昔の人は『太』を『大』と書くことにそんなに躊躇しなかったみたいだ。

*2:略决本来の貴人法は違うだろ、という突っ込みは承知の上です。