陰陽師と三河万歳

祝福芸

『万歳』は字義通りにとれば万年で無限と同義と言って良い。万歳という芸能は無限に続く祝福を授けるという意味の芸能だ。起源は中世に確立した『千秋万歳*1』だろう。同じ万歳の語が含まれている。こういう目出度い言葉を延々と連ねて祝福を授ける芸能は『祝福芸』とよばれている。祝福芸の起源は古く門付芸で乞食の一種でもあった。コトバンクには以下のようにある。

しゅくふくげい【祝福芸】

祝福の唱え言や言い立て,ほめ詞などを内容とする芸能。古代には〈ほかいびと〉(ほかい)と呼ばれ,家々の門(かど)に立って祝言を述べ,その代償として物を乞う存在があった。中世になると千秋万歳(せんずまんざい),物吉(ものよし),松囃子などといった祝言職が現れ,年の初めに禁中や諸寺,諸家に伺候して祝福の芸を演じ,また村々をめぐり歩いた。江戸時代になると祝言職の種類がさらに増え,万歳,節季候(せきぞろ),うばら,つるそめ,えびす舞,大黒舞,太神楽,春駒,鳥追などと多種多様になり,年末から年始にかけて諸国をめぐり歩き,訪問先で祝福芸を演じて生活の糧を得た。

三河万歳』は万歳の一種で来歴が不明なくらい古くから三河地方に伝わっている。三河を発祥とする徳川家は三河万歳を保護したようだ。
面白いことに陰陽師を統括・支配した土御門家は、この三河万歳も支配するようになった。三河万歳の漫才師は土御門家から免許を受け、芸を披露するにあたっては免状の必携が義務付けられていた。
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これは安城市安城市歴史博物館で16日まで展示されている『THE三河MANZAI』の図録に掲載されていた、三河万歳の免許状である『職札』とその説明で、土御門江戸役所が発行したものだ。祝福芸と占いは異なる仕事なのに何故か土御門家が免許を発行することになっている。

土御門による三河万歳支配の一因に、豊臣秀吉による土御門久脩と多数の陰陽師尾張国に配流されたことがあるだろう。この結果として土御門家と尾張三河に縁ができた。豊臣秀吉陰陽師を酷く嫌っていて、土御門久脩の流罪も秀次事件のついでに前から嫌っていた陰陽師を配流したと言った感じだ。何故、秀吉が陰陽師を嫌うのかは、今となっては謎になっている。一説には、秀吉の父親が陰陽師の一種の唱門師だったので、父親嫌いの結果として陰陽師も嫌ったのだ、というものがある。

もっとも最近の研究では、秀吉はどうも寧々を娶ることができるくらいの身分があって木下家の縁者だったらしいので、この説は成立しそうもないのだけど。

*1:“せんずまんざい”、千秋は千年のことで、やはり無限といってよい。