色々思い出したので書いておく

2つの黄道十二宮

現在、ホロスコープ占星術には、黄道上での位置が異なる2種類の黄道十二宮が存在している。一つは現時点での春分点を白羊宮の0度とする“tropical”な黄道十二宮と、2000年前くらいの春分点を白羊宮の0度とする“sidereal”な黄道十二宮だ。大まかにいうと、

が、それぞれ使用されている。

古代のホロスコープ占星術プトレマイオスの『テトラビブロス』にまとめられたのが、大雑把に言ってAD100年くらいなので、それから2000年くらい経ったことになる。黄道と赤道の交点の1つである春分点は72年に1度くらい移動するので『テトラビブロス』の時代からは27度とか28度移動していることになる。黄道十二宮*1の広がりは星座*2のそれとは違ってそれぞれ30度なので、今の春分点は『テトラビブロス』の時代の魚座でしめされたサインの2度とか3度まで移動したことになる。

“sidereal”な黄道十二宮では現在の春分点ではなく『テトラビブロス』の時代の春分点を白羊宮*3の0度としているので、白羊宮の起点は今でも牡羊座でしめされたサインの起点にあるということになる。問題というか私の癇に障るのが、このことをもって「“sidereal”な黄道十二宮を使うインド占星術の方が、“tropical”な黄道十二宮を使う西洋占星術よりも科学的に正しい」という主張だ。

そもそも黄道十二宮が何故必要とされたかというと、夜空と季節がリンクしていたからだ。特定時刻の夜空を観察することで太陽の位置を推定し季節を知る。農業を始めとして生活にとって重要だ。なので洋の東西を問わず『観象授時』は天文台を維持することが可能な王の大権であり責務だった。

今でも「暑さ寒さも彼岸まで」といって、春分の日辺りから一気に春めいてくる。『テトラビブロス』の時代にはそういう季節の変化を牡羊の突進力になぞらえていたわけだ。時代は下がって春分点は移動した。ならば、

  • 季節とのリンクを維持して、今の春分点を白羊宮の0度とする。
  • 星座とのリンクを維持して、『テトラビブロス』の時代の春分点を白羊宮の0度とする。

の2つのどちらを取るかは術者の趣味、柔らかく言い直すと価値観、の問題でしかない。
科学は関係無い。

それと『テトラビブロス』の時代の春分点を白羊宮の0度とすることが「2000年前の春分点をそのまま使う」と表現されることがあるけれども、非常に誤解を生みやすいので使わない方が良いと思う。字義通り「2000年前の春分点をそのまま使う」となると、2000年前の春分点黄道と交差する赤道、その赤道に垂直な地軸、それが指す天の北極と南極を使って、ハウス分割の計算をすることになってしまうからだ。

この点についてはKN. ラオの下で長年インド占星術を学ばれた清水先生に確認したことがある。インド占星術でも現代の春分点と赤道、天の北極南極を使って天文計算をするとのことだった。
“sidereal”と“tropical”では白羊宮の起点の位置が異なっているだけの違いということになる。インド占星術でも春分点春分点として存在している。なので私の感覚では太陽が“sidereal”な白羊宮に入宮するのを『春分』とよぶのは違和感有り有りだ。

*1:sign

*2:constellation

*3:Sign of Aries