麻雀というゲーム

ノーマーク爆牌党

今月、実家に戻ってから生活のリズムが上手く作れてない。原因は色々あるとは思うけど無為に過ごしている。こういう時は無駄に運を使っているので、その内にどこかでしっぺ返しが来ると思う。

運といえば昔は麻雀で勝つ要素として運と技術とどちらが重要なのかといった問題提起がなされることがあった。もっとも『阿佐田哲也のマージャン秘密教室』*1以降は「麻雀とは運を奪い合うゲームであるけれども、運を他者から奪う技術もまた存在しそれが麻雀の技術である」で落ち着いているんじゃないかと勝手に思っている。

麻雀牌には1から9までの数の3種類の牌、三元牌風牌がある。風牌は東西南北の4種類しかないけれども荘風と門風の組み合わせで八風が出て来る。景祐遁甲符応経に「八門は八風から生じた」とあることもあり、麻雀というゲームは占い師から見ると何となく奇門遁甲の香りがする。

この麻雀を題材としたマンガは幾つもあるけれども、私が一番好きでありかつ、占い師としても考えるところが色々あったのが、片山まさゆきの『ノーマーク爆牌党』だ。作中、敵役の爆岡弾十郎は他者の手牌を完璧に読み切った上でそこからの余牌を狙って仕留めて行く。その技術である『爆牌』によって麻雀タイトルの三冠王として君臨する天才だ。主人公の鉄壁保は凡人でありツキもそんなに無い存在として描かれている。最後、鉄壁が爆岡からタイトルを奪取して物語はエンドを迎える。

作中、爆岡の手牌読切は常に上手く行くわけではなくて、読切に向けて、

  1. 自分の意図・意思を放棄した摸打を続けることで、手配読みのスイッチを切ってリセットをかける。
  2. 次の2局を使って周囲の状況、他者の捨て牌から他者の手配にピントを合わせて行く。
  3. ピントが合って完全に読み切る。

というリズムを必要としている。鉄壁はそれに気付いて、爆岡を精神的に追い込んでリズムを崩させて不完全な手配読みのスキを付いている。

占い師として興味深かったのが手配読みのピントをずらすためにリセットをかける工程だ。卜占家として卦や課を読むとき、私なんかは適当な距離以遠に合わせた固定焦点に合わせて読んで行くことが多い。汎用性が高いからだ。しかし得た卦や課が占い師の技量を上回って様々な事柄を教えてくれることがあり、『占的の転移』が発生する。そういった卦や課を読むには、やはりオフ・フォーカスにしてからピントを合わせて行く必要があると思う。卦や課の真意は意外な距離にあるかもしれないからだ。

こういったオフ・フォーカスからピントを合わせて行く作業を丹念にやってそうな卜占家というと、やはり玄珠さんだろう。玄珠さんに占ってもらったことのある人は、その筮前の審事の深さに驚くと思う。筮前の審事の段階からピント合わせが始まっているわけだ。

そして『ノーマーク爆牌党』で学んだことのもう一つに凡人としての進む道がある。作中、鉄壁が爆岡の思考をトレースする中でふと他者の手配が透けて見える感覚になることがあるのだけど、鉄壁はそれを自ら封印してしまう。何故か。鉄壁にとってそれは天才のものであって、凡人の自分が天才の爆岡と同じように使い続けることができないと知っているからだ。凡人には凡人の進むべき道があり、その先には天才にも見えなかった何かがある、『ノーマーク爆牌党』はそれを教えてくれた。