12月は色々と酷かった(その2)

12月はどのように凶なのか

時柱日柱月柱年柱大運歳運月運







術友の竹宮千生さん四柱推命で、身強身弱は後天的に変化するという考えを持っている。私の場合、己亥年の2月に腸重積で死にかけたことや己亥の大運でメンタルを病んで堅気の仕事が続けられなかったことを考えると従児格なんだろうけど、従児格としては非常に脆い構成の命式だと思う。もし身強身弱が後天的に変化するとしたら、従児格と身弱内格を行ったり来たりする可能性がある。

ところが庚子の大運を振り返ってみたとき、丙寅年に堅気の仕事について丁卯年に結婚しているので年運に対して従児格として反応しているようだった。印綬と日干癸の禄神である子の両方が回ってきているにも関わらず、従児格のままだったので自分の場合は身強身弱は後天的に変化してなさそうと考えていた。しかしここ数年、母との関係が安定していることに気が付いた。従児格のままであるなら印綬で象徴される母親との関係は凶ということになる。以前よばれて実家にもどっている間は、母の私への細かいチェックに気が抜けなかったのだけど、ここ何年かはそうではなくなっていた。

で、何時頃からか安定したかを調べてみると2013年には確実に好転していた。その前の年に大運が年柱と同じ丁酉に切り替わっている。西方運は戊戌から始まっているけれども、本格的に金行の大運になるのは丁酉の大運からということになる。もし支とはいえ印綬の大運で身強身弱が変化して従児格が身弱内格に変化したとするなら喜忌がひっくり返ることになる。そういえば一昨年の己亥年はこれまでの経験から用心していたのだけど、かなりあっけなく過ぎ去っていった。

では今、身弱内格ということであれば喜ぶのは印綬・比劫ということになる。では12月に水道のバルブが割れてひどい目にあったのはどう解釈すれば良いのだろう。水行は害をなさないはずだ。もっともこれも家の経年劣化に対して私が実家滞在中に対応できて良かったと考えると、家はともかく私としては吉だったという解釈もあり得る。日干の刃になる11月の亥月もさほど悪いことはなかった。結論はまだ出せないけど、今は身弱内格という可能性は残っているだろう。

追記

このエントリをUPした直後くらいに竹宮さんから電話をもらった。「比劫の水行は今は忌む食傷を強める作用もあるので、喜ぶとは言えないのではないか。」ということだった。確かにそれはあり得ると思う。