寄り道その4

聖神社と信太森神社

信太森神社は葛葉稲荷神社ともよばれていていて信太森葛葉稲荷神社とよばれることもある。聖神社と共に大阪泉北部の和泉市にある。聖神社のある信太山丘陵一帯は湿地帯だったそうで今でも池や沼、湿地がある。また信太の森とよばれる鬱蒼とした森だったようだ。現状では信太明神は市街地にあると言ってよいけど、境内には今でも森の名残がある。安倍文珠院からだと聖神社の方が少しだけ近く、まずは聖神社を御参りした。

市街地に大きな赤い鳥居があり、そこを徐行しながら進んで行くと石造りの鳥居の向こうに聖神社があった。
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(ひじり)は『日知り』であり暦と関わりがあるとされている。私は占い師なので暦は必須だ。
御参りした後、扁額の写真を撮らせて頂いた。
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境内には案内板に載っている末社の他にも多くの小さな神々が祀られている。
夕暮れが近いので信太森神社を目指す。地図ではすぐ近くだ。

信太森神社は葛葉稲荷とよばれるだけあって境内は御狐さんだらけだ。拝殿の隣には例の恋しくば歌を刻んだ石碑がある。
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正面入り口から入ると鳥居と献灯が並ぶ向こうに拝殿が見える。
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ちゃんと御参りさせて頂いた後、扁額の写真を撮らせて頂いた。
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葛葉稲荷大神とある。

被差別民としての民間陰陽師を追っている沖浦和光の『陰陽師とはなにか』によると、聖神社と古い関わりのある旧南王子村は説教節の信太妻の誕生とも関わっているらしい。当然、信太森神社も信太妻と関わっている。

残念ながら聖神社も信太森神社も辿り着いたのが遅かったので社務所は閉まっていたようだったし日も暮れかけた。寄り道はこれまでとして実家に向かう。
道中、特に支障もなく無事実家に着いた。