陰陽道史研究の会

初参加

本日(10月4日)『陰陽道史研究の会』の第10回が開かれた。新型コロナの関係でZoom開催だった。広島の木下先生の引きとかもあって参加することができた。2点程、質問することができた*1。一つは、密教僧が符天暦という当時としては優れた暦のシステムを持っており、暦注の書であるホキ内伝が牛頭天皇の仏教説話を冒頭においているということは、ホキ内伝の成立に密教僧が関係していたのではないか?もう一つが、平将門の調伏に使われた太一法は本当に太一式だったのか?だった。

ホキ内伝と密教

回答としては可能性はあるけれども、現段階ではなんとも言えない、だった。
しかしもし、ホキ内伝が密教僧によって作成されたものであったとしたら、正式の頒暦ではないにせよ密教僧が暦も作っていたことになるわけで、民間のというか野良の陰陽師が使っていた暦は密教僧が作ったものだったかもしれないわけだ。上の方じゃ陰陽道に係わっていた僧侶を還俗させたりして陰陽道と仏教を切り離そうとしていたのに、下の方じゃズブズブだったのかもしれない。じゃあ『陰陽道』って何?で振り出しに戻ることになるかもしれない。

太一式

太乙(太一)という用語は多義性を持っている。例えば、かって北極星であった星としての太乙、これは伊勢神宮式年遷宮の用材に立てられた太一の看板?の太乙だ。六壬の太乙は、黄道十二宮処女宮だし、大白陰経の遁甲巻にある遁甲総序には『太乙在前、天乙在後』の文言が出てくる。平将門の調伏に『太一法』が用いられたそうだけど、本当に太一式によるものだったのか?という疑問があった。これについては、貴族の日記に太一式によるという記述が2点確認されているので間違いはなかろう、ということだった。確認できて良かった。

*1:発表に対しては質問するのが礼儀だ、という環境で育ったので物怖じはあまりしない。