沈括ってヤヴァくネ?(ヤヴァくなかった)

避諱

中国には『避諱』という決まり事があって、皇帝の諱の文字を一般に使わせないことを言う。唐の二代皇帝は諱を『世民』という*1。本当かどうかは知らないけど、避諱によって『観世音』が『観音』になったという話があるくらいだ。

北宋の第4代皇帝仁宗は暗愚な皇帝の多かった北宋の皇帝の中では割とマトモな方だったけれども、外交問題を金で解決するという方針だったので、その費用を捻出すべく重税を課したので反乱とか起こっている。有名なのが貝州で起こった王則の反乱で、王則の周辺に妖術使いが多かったという話があり、明の時代にはそれを基に羅貫中が小説『三遂平妖伝』を書いている。もっとも仁宗はマトモな部類だったので、内憂外患に悩まされた北宋の歴史の中では安定した政治が行われ『慶暦の治』とよばれている。北宋の皇帝としては臣下を見る目があって、包拯や文彦博といった後に名臣とよばれる人物を登用している。

包拯は包公、包青天といった名前でよく知られていて、中華圏では誰でも知っているような有名人の1人だ。包拯は開封府尹代理を務めていた期間、包拯の公平な裁きによって首都開封の治安が守られていたそうで『鉄面無私』とよばれることもあった。この包拯の公平な裁きを種にして膨らませて書かれたのが『包公故事』で、大岡裁きの元ネタに流用されたものもある。

閑話休題、仁宗の諱は『受益』だったのだけど立太子後の『禎』に改めている。この『禎』が『徴』と通音であったために避諱が援用されて、仁宗以降は六壬の天盤神の『徴明』が『登明』に改められている。仁宗は欽定の『景祐六壬神定経』、『景祐遁甲符応経』、『景祐太乙福応経』を編纂させていて式占への影響力は巨大だった。

ところが昨日のエントリを見直していて気がついた。沈括、『徴明』って書いてる、避諱してないよ。

亥日徵明為正月將、戌日天魁為二月將。

沈括、なんかヤヴァくネ?ひょっとすると沈括は北宋皇帝の趙氏に愛想を尽かしていたのかもしれない。

沈括、避諱してた

玄珠さんからmixiでコメント頂きました。どうも『徴明』の表記は、リンク先の『中國哲學書電子化計劃』さんの校訂の結果のようで、沈括、ちゃんと避諱してました。御騒がせしました。

*1:姓は李。