信太妻
大道芸の一つであった『説教節』の重要な演目の一つである『信太妻』*1は、歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』*2のオリジンと言って良いだろう。安倍晴明の出世話だけれども、一番の聞かせ所は『子別れ』だと思う。縁あって安倍保名*3の妻となって安倍童子丸*4を産んだ葛の葉は、ふとしたことで自分の正体である狐の姿を子供の童子丸に知られてしまう。正体を知られた葛の葉は夫と子供を捨てて本来の住処であった信太の森に隠れることを決意する。葛の葉は障子に一首の歌を残して去る。
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
この時、葛の葉本来の姿である狐の獣性の表現として、手を使わず口に咥えた筆で歌を書くとか、障子に映る葛の葉の影が狐であったりと言った演出が加えられる。確か石森章太郎名義の『変身忍者嵐』でも、子別れをそっくり流用していた記憶がある。この『恋しくば』で始まる歌は有名と言ってよいだろう。名田庄の暦会館にも、この歌が刻まれた石碑がある。
野間宏編集の『使者』という雑誌の2号*5では『「聖」と「賤」の日本文化史』を特集しており、青山恭子さんの『文化を創造する力、再生する力』はその一環として信太妻の分析が行われていた。その分析によれば、
- 『恋しくば……きてみよ/きませ』で始まるないし、それを含む歌は古く万葉集にもあり、一つの類型となっていた。
- 信太の森は有名で、確認できなかったけれども枕草子の森尽くしにも信太の森が出てくるという話もある。
- 植物としての葛の葉は裏が白く、そのため恨みの枕言葉として葛の葉があった。
つまり歌の要素としては、よく知られたものだけを使っているにも関わらず、子別れの悲しみ絶望といった感情が巧みに表現されている。作者は無名ながらも天才の部類だと思う。
いずれ信太の森を訪れて聖神社と葛葉稲荷に参拝してみるつもりだ。