予行演習

陰陽師の里である名田庄*1で行われる天社神道の八朔の御祀り*2に行くことにした。
で、予行演習ということで1泊2日で往復してきた。

1日目

個人的な趣味で、しまなみ海道を使った*3しまなみ海道に入ってすぐの来島海峡SAで軽く藻塩ラーメンを食べることにしている。

来島海峡SAを含めてSAやPAでは最近、御当地B級グルメにチカラを入れているみたいで、来島海峡SAには塩レモンソフトがある。写真はカップだけどコーンもある。他に今治名物の焼き鳥の鳥皮版も置いている。タレが絡んで美味しい。

で、このまま現地に行ってしまうのも芸が無いなと思ったので、実家から見たら名田庄とそんなに離れてない由良の里、つまり山椒大夫の舞台となった地に行ってみることにした。Google Mapで検索すると宮津市の由良海岸に汐汲浜があるというのが判った。山椒大夫では安寿が海水を運ぶ労働をしていたので、その関係だろうと見当をつけて、国道178号線を由良川に沿って海岸に下って行くと幾つか山椒大夫にまつわるものを見つけた。

なんと山椒大夫の屋敷跡とかあったりする。この看板のあった場所は海岸からずいぶん離れていたので、ここに屋敷があったのなら海岸には出張所があったのだろう。そして安寿と厨子王の石像と伝説を解説した石碑もある。伝説*4というのは長く残るものだと感心した。

そして由良海岸に来た。由良海岸が面する若狭湾は綺麗な所だった。車を停めてしばらく歩いて行くと、砂浜から少し離れたところに岩がある所に出た。この辺りが汐汲浜らしい。製塩のために海水を汲んで運搬するというのは重労働だったのだろうと思う。

鴎外の山椒太夫と違って、説教節の山荘太夫*5では成長した厨子王は山荘太夫を殺して復讐する。この復讐のシーンは説教節では聞かせ所だったらしい*6

ということで1日目は終わった。

2日目

朝、時間があったので国学者で有名だった伴信友墓所のある発心寺に行ってみることにした。知識の偏った私にとって伴信友は『正卜考』の著者だ。

途中海岸縁り道に車を走らせたのだけど眺めが良かった。若狭湾は変化があるし海岸を走っていると気持ちがいい。

件の発心寺は割と住宅地の中にあった。山門の近くに『不許葷酒入山門』の石碑が立っているので禅宗の寺だと判る。御墓が沢山あって信友の御墓を探すのは諦めた。ただ寺の境内ではないけど近くに信友の顕彰碑が立っていた。かなり大きい。

ということで一路、道の駅「名田庄」を目指す。道の駅「名田庄」には、ホテルの『流星館』と『暦会館』が併設されている。新型コロナの影響で道の駅の蕎麦屋は休業、暦会館は県外者は入館禁止でかなり当てが外れた*7

八朔に合わせて一泊したいので7月31日の予約をしようと考えていたので、流星館に行って空きがあるかどうかを聞いてみた。団体が来ないなら大丈夫ということで、予約がとれそうなら連絡をもらえるように御願いしてきた。

で、帰路につく前に周囲を少し見てまわった。地蔵堂、その近くにある安倍氏所縁の地に建つ加茂神社、土御門家墓所だ。

加茂神社の本殿は奥にある急な石段を上った所にある。社を更に囲ったような造りになっている。土御門家墓所には、31代有宜、32代有春、33代有脩の御三方が眠っているそうだ。

で、無事に実家に帰還して予行演習は終了した。

*1:福井県おおい町名田庄村。

*2:八朔つまり8月1日。新暦で行われるそうだ。

*3:カーナビはまず御勧めには出してこない。

*4:ただの伝説なんだけど。

*5:『さんせう太夫』の方が正しいらしい。ここでは柳田国男の『山荘太夫考』に従った。

*6:さぞかしコッテリと演じられたのだろう。

*7:広島県府中の木下先生に連絡すれば、口添えを頂いて入館できたかもしれないけど、八朔に来るからよいかと思った。