夙のカムイ

カムイ伝

白土三平の『カムイ伝』は未だ未完ではあるけれども、非人であるが故に忍者となった『夙のカムイ』を主人公とする*1長編マンガだ。カムイは夙谷の出身なので『夙の』が付く。そして『夙』をコトバンクで引くと、こういう結果が返ってくる。

大辞林 第三版の解説
中世・近世にかけて、主に近畿地方に住み、賤民視された人々。寺社に隷属し、古くは捕吏、清めの仕事をした。近世では農業に従事する一方、竹籠・箕み・土器作りなどをして行商し、また雑芸能も行なった。夙の者。宿の者。

つまりカムイが『夙谷』の出身というのには、それなりの背景があるわけだ。
白土三平、岡本鉄二兄弟の父君である、岡本唐貴全日本無産者芸術連盟(NAPF)のメンバーで特高に連行されて拷問されたこともある。白土三平、岡本鉄二兄弟が父君から受けた影響の結実の一つが『カムイ伝』なのだろう。

こういうことを思い出したのは陰陽道研究家の木下琢啓先生が、丹波新聞の『地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り』という記事をFacebookでシェアしているのを見たからだ。この消えた村が『夙』だった。記事ではこの夙村についてこう書かれている。

「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」

最近、江戸時代の身分制の縛りが案外ルーズだったという話が色々な所で出るようになってきた。このルーズさは、現代の被差別部落のルーツとなった地区についても同様だったわけだ。なので、江戸時代の『部落差別』が現代と同様だったと漠然と思い込んで『民間陰陽師の研究』みたいなエントリあげれば専門家から叱られるのは当然で、これもまた『間違った時に訂正してくれる人がいるという幸せ』の一つだ。何のことはない『カムイ伝史観』が抜けてないのは私だったということだ。

*1:ただカムイの役割は、次第に観察者となって行く。カムイ個人の活躍は、抜忍となったカムイの逃亡記である『カムイ外伝』で描かれている。