錬金の術

内丹と外丹

多分、錬金術は一般的には卑金属から黄金を作り出すことを目指した科学以前の混沌と理解されていると思う。しかしながらこれは中国的な表現を使うなら『外丹』の側面だけを見ての評価だ。実際には『外丹』と『内丹』がセットになって錬金術を構成している。『内丹』は瞑想その他による精神面の変容を目的にしている。錬金術は時代を経て元が混沌だったものが更に混沌としてくる。外丹派と内丹派に分かれて、どっちが本来の錬金術なんだ、みたいなことになっていたりする。

しかし本来の錬金術が『外丹』と『内丹』がセットになっているというのは『虚空蔵求聞持法』においてよく保存されている。『虚空蔵求聞持法』では作法に従って虚空蔵菩薩真言を百日間かけて百万回唱えるのだが、続きがあって修行者は真言を唱え終わった後に、発酵バターをかき混ぜることになっている。そのとき成道の度合いによって、上品、中品、下品の反応が現れるとされている。

  • 上品では火柱が立つ。
  • 中品では煙が立ちあがる。
  • 下品では雲気が立つ。

この反応が出た時、かき混ぜた発酵バターを舐めることで虚空蔵菩薩の智恵や知識、記憶力が得られるとされている。つまり『虚空蔵求聞持法』は真言を唱えるという内丹と、変容した発酵バターという外丹の両方を同時に完成させることによって成立している*1。西洋の錬金術は外丹の部分が取り上げられることが多いけれども、内丹の要素だってちゃんとあって、それがC. G. ユングの『心理学と錬金術 I』、『心理学と錬金術 II』に結実している。

自己の精神にコンタクトする内丹法は、やはり文章だけでは説明しきれない『不立文字』の部分があり絵がよく使用されている。錬金術に係わる絵でよく用いられるモチーフの一つに『聖なる結婚』がある。

右の絵はWikimediaから借りてきた伏羲と女媧の絵で、下半身が蛇体で絡み合っているところが既に『聖なる結婚』だけれども、この絵はもっと強く『聖なる結婚』を描いている。御互いの上半身の辺りを拡大してみると、それが好く解る。

向かって左側は頬紅をつけている。つまりこちらが女神である女媧ということになる。向かって右側は判り辛いけれども口の周辺に髯をたくわえている。こちらが男神の伏羲だ。

ここで御互いの持ち物を見てみると、女媧はブン回しであるコンパスを、伏羲は曲尺を持っている。コンパスは円を描く道具で、曲尺は四角を描く道具だ。中国では天円地方といって天は丸く地は四角い。そして男神は天、女神は地をあらわしている。つまりこの絵では御互いに道具を交換している。つまりこれも『聖なる結婚』の表現だ。

男と女、天と地、火と水といった相対する存在の『完全な統合』は錬金術の目指すところで、それを『聖なる結婚』として画像によって表現している。これは西洋でも共通していて『聖なる結婚』を表現した画像は『心理学と錬金術』にも幾つも引用されているし、錬金術に関する画像を集めた『錬金術: 精神変容の秘術 (新版イメージの博物誌)』にも沢山出てくる。
このように錬金術の表現が東西で共通しているのは、同じルーツを持つためなのか、東西交流の結果なのか、はたまたユングがいう集合的無意識のなせる業なのだろうか。

*1:この話をしてくれた圓寂坊の御師さんは、更に進んで釈迦族の周辺で錬金術が生まれて東西に伝搬したのではないか、と推測している。もしそうなら御釈迦さんは内丹派のニューウェイブといえるだろう。