内功
清の時代に蒲松齢の『聊斎志異』がトリガとなった志怪小説のリバイバルの一つに、沈起鳳の『諧鐸』がある。中国古典文学大系の42巻に抄訳が収録されている。この中に「ひどい餞別*1」がある。
話の主人公は現在の湖北省の盧生という人で、子供の頃から武術を学んでいて、拳や棒の指南で糊口をしのいでいた。あるとき棗の木を揺すって実を落としていたら、髯を生やした男が「大したことたぁないな」と笑ったので、「じゃあお前やってみろ」といったら、その髯の男は棗の木に抱きついたまま動かない。盧生が笑うと男は、「おまえのは表面の力、わしのは内にひそんだ力だ。見てろ、木が枯れるから」といった。ほどなく、棗の木から実はおろか枝まで落ち始めて、枯木のようになってしまった*2。男のセリフは原文*3では、
汝所習者、外功也、僕習内功、此樹一経著手、転眼憔悴死矣。
となっている*4。ようするに盧生のは『外功』でオレのは『内功』だ、と言っている。
この話から始まって、髯の男に見込まれた盧生は男の妾腹の娘の婿となるのだけど、実は男は武術を使った殺人・強盗を生業としているとんでもない男で、盧生は妻と共に男の留守を狙って出奔する決意をする。髯の男の家のしきたりとして残った家族が出ていく者に得意の一手を餞別に送る、つまり、武術と稼業の秘密を守るために家を抜ける者は殺すというわけだ。しかし盧生は妻の機転と腕前で脱出に成功する。
ところで、この「ひどい餞別」の髯の男が木を枯らすエピソードは、松田隆智&藤原芳秀の『拳児』の剛侠太郎が頂肘で木を枯らすエピソードを思い出させる。多分だけど、『諧鐸』のこのエピソードを元に『拳児』の話が作られたのではないだろうか。