不完全なVRに何故のめり込むことができるのだろう?
VR(Virtual Reality)は今のところ五感の全てに働きかけることはできていない。せいぜいが視覚と聴覚、触覚の一部くらいだ。VRの勃興期に
という疑問が提出された。これに対して以下のような回答があった。
人間にとって『現実』とは脳が感覚を基に再構成したVRであり、人間は元々VRの世界を生きている。なので人間が作ったVRであっても現実感を感じるのは当たり前である。
人間が現実と感じている世界は実は脳が作り出したVRであるというアイデアは結構古くから存在している。唯識-Wikipediaにはこうある。
唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。
人間は自分の脳が作り出したVRの世界を生きている、というのは私と徳島の御師さんとの共通認識になっている。脳がVRを作り出してそれを現実と認識するという隔靴掻痒の認識手段をとっているのは、人間の認識能力に限界があって一旦VRを経て情報をフィルタリングしておかないと認識が破綻してしまうからだろう。
神秘主義では何らかの方法で真の現実を直接に認識することができるとして、その『何らかの方法』を追求しようとするわけだけど、多くは脳をバグらせることで構築したVRを壊すようなことをしている。危険なことをやっているという認識は必要だし、ちゃんとした指導の下にやるべきだろうと思う。