美容魔術

おもしろ同人誌バザール

美容魔術表紙

『おもしろ同人誌バザール』に行ってきた。娘に『美容魔術』を読んでもらおうと購入しに行ったわけだ。

化粧について私は『畏怖』を感じている。極東アジア*1では、明らかに化粧は呪術をルーツとしている。中国で最も有名な刺客の一人である豫譲は、

士爲知己者死、女爲説己者容。
士ハ己(オノレ)ヲ知ル者ノ爲ニ死シ、女ハ己ヲ説(ヨロコ)ブ者ノ爲ニ容(ミメツク)ル。

と語り、滅ぼされてしまった主君である智伯の復讐を誓ったと司馬遷の『史記』にある。智伯から国士無双の待遇を受けた豫譲は無双の国士として命懸けの復讐を実行しようとした。豫譲の言葉前半の『士ハ己(オノレ)ヲ知ル者ノ爲ニ死シ』はそれを現している。後半は前半と対句となっている。前半は『知己』という言葉の元になっているのである程度知られているけれども、後半を知っている人はそんなに多くないだろう。『女』とここでは言っているが、『士』と対をなしているので、それなりの身分のある女性ということだろう。そういう女は自分を知り自分を喜ぶ者のために化粧をするのだと豫譲は言っている。

この『化粧』は自分の命をかけた復讐と対をなす『化粧』なわけで、多分、自分の命をかけた呪術としての化粧だったと考えられる。多分、私にも化粧のルーツとしての呪術の記憶が身体のどこかに残っているのだろう、化粧には畏怖を感じる。

民俗学柳田國男が調べたように日本では白塗りは神事における化粧をルーツとしている。この前、ヘイズ中村さんと少し話をしたのだが、ヨーロッパの道化師の白塗りは仮面の代用だったそうだ。日本の白塗りも仮面の代わりだったのかもしれない。やはり化粧には畏怖を感じる。

アレイスター・クロウリーが『意識的に行うもの全てが魔術だ』と言ったように、意識を持って行う化粧は明らかに魔術だろう。その根っこの部分は神事・呪術とつながっており由緒正しい魔術でもある。

さて購入した『美容魔術』だが、2章までを使って化粧が持つ呪術性についての解説についやされている。紙数にして全体の半分近い。これは化粧が美容とほぼ同義の現代では必要な解説だろう。そして化粧と美容が同義であるなら、美容もまた呪術であるとして、世界を構成する四大のエレメンツを使った美容・化粧の解説が行われている。

小冊子なので、詳細な個々のテクニックについては講習会で、ということだそうだが、概説ではあっても魔術としての化粧の基本的な部分は解説されている。一読の価値はあると思う。FortunaMoon(ヘイズ中村魔術研究会)で、通販が始まるそうだ。

*1:いや世界でもか?