安全と安心

東日本大震災の影響で発生した福島の原発事故によって、はっきりと見えるようにようになったものの一つに『安全』と『安心』は別物ということがある。私見だが『安全』というのは様々なリスク評価の結果として、この程度の発生確率と損害額であるなら危険と共存しようという判断を指しており、『安心』は不安が払拭された状態の心理を指している、と考えている。

なので安全であっても安心できないことはいくらでもあるし、いい加減もしくは無茶なリスク評価による安心は実は安全ではない、つまり危険だということもいくらでもある。後者の一番良い例は原発だろう。みんななんとなく安心していたし、運用していた東電も少なくとも本店は安心していただろうけど、安全ではなかったわけだ。前者は福島県産の農作物が良い例になるだろう。放射性物質である14Cや40Kは自然界に遍在していて、それこそ福島県産のキュウリだろうが、東京都下で栽培されているズッキーニだろうが、農作物には必ず含まれていて、それを食べる我々は日々、放射線による内部被曝を受けている。そういった事柄を含めて被曝量の基準値が定められているわけだが、福島県産の農作物による被曝が基準値内に収まっていて安全であっても安心できない人は多数いるだろう。

そして安全と安心の乖離が無視できない現在、とんでもない商材が安心を提供するものと売買されているのは非常に問題だと思う。例えばEMで放射能の影響を除去できるとか、ね。

占いも人によっては安心を売る商売として認識されているらしくて、安心できるまで占い師を取っかえ引っかえする人もいれば、オレを安心させることのできないオマエはヘボと思われることもある。でも術を曲げてまで吉と告げることはできないよね。