庖の丁さんは本当に料理人だったのだろうか

今週号の少年サンデー連載の『銀の匙*1』は、屠場における家畜の解体シーンを収めたビデオを見るかどうかという割と重い話題で興味深かった。見ない決定をした側にもそれぞれに、もっともな理由があり、見た側は見た側で様々にショックを受けていた。獣医志望の生徒が「あのスピードで畜体を捌けるのは、動物の体を知り尽くしているからこそだ。」「獣医を目指すからにはあの位の知識と正確さが欲しい!」とつぶやくシーンがある。

これで連想したのが荘子内篇に載せられている養生主篇の庖丁の話だ。庖丁が牛を解体する様は、福永光司の荘子内篇では、

庖丁の鮮やかな身のこなしがいにしえの桑林の舞姿もかくやと思わせ、そのリズミカルな手さばきが、経首のオーケストラの旋律そのままであるというのである。

とされている。福永光司は「解牛」の「解」を徹頭徹尾、料理と解釈してその前提に基づいて、解に“りょうり”の訓を振りそれに合わせて読み下しを行っている。しかし、庖丁が行った解牛は、いわゆる料理、つまり人間の食事のために食べやすく切り、あるいは加熱し、調味する、といった調理の一連の作業とは異なっているのではないだろうか。

養生主篇の庖丁の話を素直に読めば、庖丁は牛を解体したのであって、文恵君の食事のために牛肉を調理したのではないことが判るだろう。神道研究家の竹内健は、神代文字の研究から派生した、十干の前に十二干があったとする研究の中で、庖丁の解牛について触れ、荘子のこの記事は古代にあった、犠牲を解体して神に捧げる神事に淵源を持つのではないかとしている。

確かに文恵君は庖丁が解牛する様を見ている、つまりその場に居合わせていたわけで、本来は、王や諸侯によって行われた神事の様であったものを、荘子が養生の話に換骨奪胎したのだという竹内健の説はそれなりに頷けるものがある。

この庖丁の故事から調理で使用する刃物を包丁と呼ぶようになったのだが、庖の丁さんがいわゆる料理人であったかどうかは疑問の余地があると思う。

[2012/01/17]追記

もっとも中国嫁日記の「素晴らしき日本!」の回を読むと、庖の丁さんはやっぱり料理人だったのかも、と思わないでもない。

*1:単行本は現在『銀の匙 Silver Spoon 1』と『銀の匙 Silver Spoon 2』が発売中。