とにかく不思議なことが好きだった

まあその不思議もジャンルはバラバラだったけど、なんで?と問うこと、そうか!と理解することが何より好きだった。なので様々な分野に手を出していた。思えば小学校の5年の頃だったか、偶然見た教育テレビの通信高校講座の化学Aに魅せられた。まだ白黒放送だったけど、試験管の中の液体が一瞬で色を変え、溜めた気体に火を点けるとキュポッと音を立てる、そういった様々な現象の背後に原子・分子・元素といったものがあって、それらの化学反応を化学反応式で普遍的に記述できる、もうたまらなかった。

なので理科は得意だった。そして理科を理解するために必須だった数学も中学高校とチャートを毎日3問解くというノルマ*1の御蔭で試験の得点源になっていった。

マンガも高校の頃まではまだ出版点数がそんなになかったから大抵のものには目を通していた。現実とは異なる不思議な世界、私にとってSFって面白いマンガのことだった時期は長く続いていた。もっとも小学校時代から教室にあった子供向けのベルヌとかは全部読んではいたけど。子供向けのホームズとかルパンもかなり読んだと思う。

中学の頃に新章文子の『四柱推命入門』に出会った。存外、自分をよくあらわしていると思って、同級生を片っ端から占ってみた。この時、阿部泰山の名前を知ったのだけど、山伏だった祖父の遺品に、阿部熹作(泰山)の本の出版案内を見つけて、問い合わせを出版社に出したところから泰山全集の収集が始まって全巻揃えることになった。

中学・高校と図書室にあった中国古典文学大系の西遊記水滸伝平妖伝は繰り返し読んだ覚えがある。これらには五行の相生相尅がよく出てきて、非常に興味深かった。この五行の相生相尅で様々な事柄が説明できそうだと実感したとき、それまで蓄えていた雑多な知識がいきなり体系化されたような感じがして、急に頭が良くなったような感覚に捕らわれた。まあ、錯覚ではあったのだけど。なんかカルトにハマる人って大なり小なりそんな感覚に捕らわれるんじゃないだろうか。

で、当時占いにはまってた人間として、透派ショックも体験した。この透派の影響から脱するのにずいぶん時間がかかったし、私の四柱推命はまだその影響を消化しきっていない部分が残ってる。

こういう感じで、占い、理科、マンガとSFにミステリーが、大学以前の私の知的な活動の3つの柱だった。大学に進学する時はかなり研究した。つまり私の試験での得点は、理科と数学は平均以上、国語は普通、英語と社会は平均以下だったので、それに合わせたターゲットを探す必要があったわけだ。で、選んだのが大阪大学の工学部だった。阪大の工学部は今の入試でも、2次試験で理科と数学の配点が高い。で、私の得点能力から溶接工学科*2を選んだ。そして4年で卒研のための講座で、溶接工学研究所*3の荒田研究室を選んで、プラズマ分光の仕事をすることになった。

なんで溶接研でプラズマ分光やっていたのかというと、教授の荒田先生が日本で最初にz-pinchによるプラズマ核融合の実験をやった人だったからだ。荒田先生はプラズマ核融合の仕事を離れてもずっと核融合に興味をもっていたので、今でも変な所で話題になったりする。ついでにいうと、電解で核融合が起こっているというなら、ヘリウムを重水素分子から明確に分離して測定するべきだろう。例えばQマスに入れてる気体を放電で励起してヘリウムの587.6nmの黄色の光を測定すれば、重水素分子の発光と明確に弁別できる。このとき外部から587.6nmに同調したレーザーを入れてそのレーザー誘起蛍光を測定すれば、もっと感度を上げた測定ができるはずだ。あそこにはそれに必要な設備とノウハウがあるはずなんだけどな。

結局、親を泣かせて博士課程まで行って、物理屋の尻尾のある占い師ができあがった。後にNIFTYの占いフォーラムで、椎羅さんの「占いはサイエンスではなくアートである」という言葉に出会って、占いを術として認識できるようになり、自分の中で科学と占術が住み分けできるようになった。物理屋の尻尾があるので、科学を偽装したニセ科学とそれで金儲けを企む詐欺師に向ける私の視線はかなりキツイものになっている。ニセ科学批判のブクマが多いのはそのせいだ。

*1:もっともチェックの前日に21問やっつけるのが通例だったけど。

*2:現、生産科学コース

*3:現、接合科学研究所