董仲舒にとっての『春秋災異之變』

ちょっと前のはてな日記の『高橋圭也さんの講義を聞いた』というエントリで、

しかし董仲舒が自ら展開した災異論に則って旱魃に雨を降らせ、大雨を止めたという伝説の持ち主とは知らなかった。

と書いたわけだけど、伝説どころか『漢書』の『董仲舒伝』に記載のあるれっきとした史実*1だった。『漢書董仲舒伝』は、ネット上では『東洋大学春秋繁露研究会』のサイトに清の王先謙による『漢書補注』から引いた全文がアップされている。

董仲舒伝において董仲舒と祭式の係わりのありそうな文言は以下だろう。

仲舒治國,以春秋災異之變推陰陽所以錯行,故求雨,閉諸陽,縱諸陰,其止雨反是;
師古曰:「謂若閉南門,禁舉火,及開北門,水灑人之類是也。」

実は『錯行』の意味が正しく取れてなかったので頓珍漢な読みをしていたのだが、高橋圭也さんに教えてもらったところ、以下のような読み下しになるそうだ。

仲舒、國ヲ治ムルニ、陰陽ノ錯(みだれ)レ行ク所以(ゆえん)ヲ春秋災異之變ヲ以ッテ推ス。故ニ雨ヲ求ムルニ、諸陽ヲ閉ジテ諸陰ヲ縱(はな)チ、其レ雨ヲ止ムルニ、是レニ反ス。
師古、曰ク:「南門ヲ閉ジ、火ヲ舉グルヲ禁ジ、及ビ北門ヲ開ク若キヲ謂ウ。水、人ヲ灑(うるお)ス之類、是也。」

ざっとした解釈は以下のようになるだろう。

董仲舒が国を治めるとき、陰陽が乱れる理由を春秋災異之變から推測した。そこで雨を求める場合は諸陽を閉じて諸陰を放った。雨を止める場合は、是れと逆にした。
顔師古の注にいう:「南門を閉じて、火を焚くこと禁じ、さらに北門を開くことが、諸陽を閉じて諸陰を放つことである。水をかけ人を濡らすこともこの類である。」

こういった事績から董仲舒祭文が作成され、後に大祓いの祝詞に繋がっていったと推測されている。もっとも災異を天譴ととらえていた中国と異なり、日本では天譴ではなく神仏や鬼、生霊・死霊の祟りの方が馴染みやすかったらしい。『占事略决』には祟りの源を推測する方法が解説されていて、祟りそうな神が色々あげてある。もっともその幾つかはどんな神さんだったのかよくわからなかったりする。

*1:事実かどうかはわからないけど。