晴明の占例


















































































占事略决」詳解で御世話になったid:kuonkizunaさん*1のところに晴明自身の占例があった。記事の元になったid:kuonkizunaさんの資料集から該当箇所を孫引きで引用させて頂くと、

【寛和二年二月廿七日】
廿七日乙丑,天晴,無政。仍諸卿不參。
今日,未二刻,鴿入正廳母屋内,集右大臣倚子前机前,指西歩行,飛去從同屋第二戸。
天文博士安倍晴明,占云:
「來廿七日乙丑,時加未,見怪時三月節。傳送臨午為用,將勾陳。中河魁、朱雀。終神后、天一
掛遇重審,推之非奇。自午申方闘戰事,闘戰事,上下恐有脱誤。
怪所,辰午亥年人有口舌事歟。期怪日以後廿五日内,及來四月、五月、七月節中庚辛日也。於怪所至攘法,為咎乎。」

本朝世紀』寛和二年二月廿七日

ざっと読解しておくと、

【寛和二年(986年)二月廿七日】
二十七日乙丑、天候は晴、政治はお休みで諸卿は朝廷には来ない日だった。
この日、未二刻に鴿(ハト)が正庁の母屋に入って、右大臣の椅子や机の前に集まって西の方に向かって歩き、同じ部屋の二番目の扉から飛び去るという怪事があった。
天文博士安倍晴明に占わせたところ、こう解答した。
「この廿七日は乙丑で時支は未、怪事を見たのが三月節なので、月将は酉です。傳送(申)が地盤午に臨んで発用となります。発用の天将は勾陳です。中伝は河魁(戌)で天将は朱雀、終である末伝は神后(子)で天将は天一貴人です。課式は重審格です。
これらから推論すると奇*2ではありません。午から申の方角で争い事があるでしょう。上下間での情報の錯誤に注意して下さい。
事件の起こった場所では辰午亥歳の人に口舌の災いがあるでしょう。その時期は事件の起こった日から廿五日以内、もしくは次の四月、五月、七月節の中で庚辛日でしょうか。事件の起こった場所で攘法*3を行うことは問題ありません。」

本朝世紀』寛和二年二月廿七日

この寛和二年というのは六月に花山院が出家した年で、引用中の右大臣とは藤原兼家のことだろう。平安の頃はこういった何か動物が家の中に入ってきてしまうという怪事が時たまあったようで、徒然草206段にあるように気にしない人もいたようだけど、多くは陰陽師に占わせたらしい。

晴明はこの課式から奇ではないと結論している。三伝に怪事の類神である騰蛇、太乙(巳)がないことからそう結論しているのではないだろうか。ただし発用に勾陳があるので戦闘のことがあると推論している。そこで指方法から午から申の方位を要注意としている。「上下恐有脱誤」というのは重審課で発用を抑えることができていないからだろう。

また中伝に朱雀があることから口舌の問題があるとしており、指年法から要注意の人の生年支を算出している。この指年法は京都大学図書館蔵本の占事略決の巻末に付記されているものが基本になっている。以下で見ることができる。

http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/s100/image/1/s100s0037.html
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/s100/image/1/s100s0038.html

なお、口舌の災いの起きる時期として25日以内としているが35日以内の誤記の可能性がある。略决の応期法では河魁と地盤から応期を計算すると35日になるからだ。

このあたりは詳しくは、小坂眞二「物忌と陰陽道六壬式占」:古代学協会(編集)「後期摂関時代史の研究」(吉川弘文館)所収 ISBN:4642022422読むことができる。

*1:献本は無事に着いただろうか?発送時にトラブったので心配。クロネコのデータだと8月2日には台湾に着いているようだけど。

*2:大きな怪事のことか?

*3:御払いのことか?