人の巻配信開始
圓寂坊さんが「六壬占断口訣 人の巻」の配信を開始された。ただ一般向けの内容ではなく六壬の研究者向きである。
六壬神課、奇門遁甲、太乙神数の三式は過去においてれっきとした軍事技術であり、将官級の人間は−実際の運用にあたっては専任の人間を置くとしても−どのような術であるか知っておくべき存在であった。中でも六壬は軍の運用に直接に結びつくものとして重視されており、太白陰経(李筌)で解説されているのはもちろん近代的な内容を持つという評価のある紀効新書(戚継光)ですら解説があると聞く。
「六壬占断口訣 人の巻」はこの軍事技術としての六壬の解説ではあるが、「占選将」で太常を将軍(単なる将軍ではなく派遣軍司令官)の類神としているなど、六壬が生まれた時代の記憶を伝えている。司令官級の将軍と太常の関連性は、玄珠さんが掘り起こした漢代の記録と一致しており非情に興味深い。六壬の象意を深く極めたいなら読んで損はない。
なお付録の六壬護身法は非情に簡便ながら験のある術と感じている。実は圓寂坊さんから「人の巻」評価の依頼があってデータを送ってもらった直後に、自動車を運転する前に護身法を修した。目的地への途中に踏み切りを越えたすぐT字路にぶつかる所があるのだが、T字路を左折したところでいきなり自転車を大きく左右に振りながら加速中のおばあさんと出くわした。一瞬ぶつかったかと思ったがなんとかすれ違い、護身法を修していてよかったとホッとした*1。
話は自己言及にもどる
これまで書いてきたように私は自己言及性では占いが当たることを説明しきれないと考えているが、この自己言及性は依頼者とのコミュニケーションにおいて非情に重要であるとも考えている。
はっきりいって依頼者は切羽詰っている割には占い師の言うことをまともに聞いてないことが多く、依頼者にとって楽に受容できる内容だけを選択的に聞いていると考えた方がよい。従って占い師は依頼者が自己言及を受けてどう反応するかを予測しながら話をする必要があるだろう。
宮本悦也の流行学によれば人間が新たな情報を受容する場合に3つの形態がある。
- それまで受容してきた情報から構成される既成概念から連想できるものとして受容する。
- 既成概念に組み込むことができるが意外性を感じるものとして受容する。宮本悦也はこれを弱い意外性と呼んでいる。トリビアでヘェーと感じるレベルとでもいっておこうか。
- 既成概念に組み込むことができず、とりあえずこれは別という形態で既成概念と対立するものとして受容する。宮本悦也はこれを強い意外性と呼んでいる。この強い意外性を持つ情報が強いと既成概念の転換が発生する。
占い師にとってやっかいなのは、強い意外性を持つであろう情報をどうやって依頼者に正しく受容させるかという場合で*2、おそらくは論理による説得と暗示をうまく連動させることが必要だろう*3。理想は京極堂が憑き物を落としたり付けたりするときに使っている方法だろうが、これも御話だからうまくいってるわけで学には多分ならないだろう。